2019年6月25日火曜日

神明社@北佐久郡立科町桐原字峰屋敷

神明社の鳥居と灯篭
立科町の外倉、古町、桐原、藤沢の4地区には伝統芸能の「三頭獅子」の獅子舞が受け継がれている。
桐原では秋の例大祭に神明社に奉納され、外倉は駒形神社で春、古町は蓼科神社、藤沢は駒形神社で秋に奉納するという。

桐原の神明社の歴史等は調べていないが、桐原は台地上で自然流河川がないようなので水田開発ほ比較的遅かったと思われるのだが、古代の御牧には関連したかもしれない。
それは獅子舞を奉納する他の三社に駒形神社など御牧に関わる古いものとも思われることからも何ともいえないか。
集落自体はおそらく江戸期に入ってからの歴史と思われるが調べたら追記改訂したい。

神明神社(しんめいじんじゃ)は、天照大御神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社である。神明社(しんめいしゃ)、神明宮(しんめいぐう)、皇大神社(こうたいじんじゃ)、天祖神社(てんそじんじゃ)などともいい、通称として「お伊勢さん」と呼ばれることが多い。(Wikipedia)
 
灯篭裏の馬頭観音。

新しそうな石門柱。
古そうな石門柱。

鉄柱らしき鳥居。
拝殿。

境内。

境内社。

境内脇の双体道祖神。

神明社からの景色。
桐原にはここから南に500mのところには「日限地蔵尊」がある。
また、神明社のすぐ北に小高い丘があり、筆者は八重原の「鍋蓋砦」に似ていることから「桐原の鍋蓋❨仮❩」と呼んでいるところがあるが歴史のあるものかは全くの不明。
北方の番屋川沿いには蟹原城藤沢の屋敷などの史跡、東の西塩沢には狐の墓場があり、その南には大城がある。



2019、6月初訪

2019年6月24日月曜日

日限地蔵尊@北佐久郡立科町桐原

日限地蔵 (ひぎりじぞう)は日本各地に存在する、「日を限って祈願すると願いが叶えられる」といわれる地蔵菩薩。
 安土桃山時代、蘆名盛氏へのある夜の夢のお告げで黒川城の堀から見つかったとされる3体の地蔵菩薩像を日限地蔵として祀った西光寺(会津若松市)をきっかけとし松秀寺(東京都港区)から全国へひろがったという。(Wikipedia)

立科町細谷地区にある日限(ひぎり)地蔵尊は、祝日が4月24日である。
疫病が流行した元禄のころ、円宗和尚がこの地に住んでいた或る夜、夢枕に地蔵尊が現われ「日を限って祈願すれば治してやる」と告げられた。
そこで円宗が満願の献じ物はと問えば「麻の苧(からむし)を我が手にかけて祈り、その麻で痛むところをさすればたちまち治る」その代わり満願の時は「小豆団子で供養してくれ」と言い残して消えた―。後には三体の地蔵尊の掛け軸があった―。
この話が世間に流れ、日を限り祈願する者で大変にぎわった。特に安産には御利益があった。
天保10年8月、天田等一(あまだとういち)と言う人が近在の信者の投資をあおぎ、江戸白金の松秀寺尊像を受け、三日三晩大法会を行ない飄然(ひょうぜん)と村を去った。村人は姿の見えなくなった日を命日と定め碑を建立して供養している。(立科町HP)







御堂の裏手には五輪塔や十王像らしき石像。





2019、6月初訪

諏訪神社@北佐久郡立科町塩沢

旧塩沢村の村社で諏訪の末社という。
創建年月日は不明だが、口碑の伝うるところによると天慶三年(940)に王代神社として建立されたともいう。
東北方200メートルほどに昭和十年ごろまで医王山龍泉寺があったといい、その持庵の薬師庵あとが境内地の東の平地にあるという。
境内にあるケヤキの巨木はこの神社の古きを物語っている。

この周辺は太古の御牧に関係する地域とみられ、非常に歴史が古い。
「王代神社」の古名が気になるところである。
関連は不明だが、南500mには岩下氏に関わるものか「大城」があり、台地上には「高根塚古墳」も残っている。

鳥居脇の道祖神と馬頭観音?

鳥居。「諏訪大明神」とある。

参道を行くと大欅と案内板。

 諏訪神社
祭神 八坂刀売神 事代主神
 旧塩沢村(現立科町塩沢区)の村社にして諏訪大社の末寺である。建御名方神の妻である八坂刀売神と兄である事代主神を祀る。
 創建年月日は不明ではあるが、口碑によると天慶三年(940)に王代神社として建立されたともいう。
現在の祭日は九月十七・十八日である。
 境内社には火防の神である秋葉・愛宕の両社、大山祗神を祀る山神社、菅原道真公を祀る天神社などがあり神社統合令により明治四十年ごろ村内各地より遷座された石祠である。また、豊受社は戦後上原より遷座された。
 社の背後、東北方二〇〇メートルほどのところに、昭和十年ごろまで真義真言宗智山派の医王山龍泉寺があり、江戸時代には三十戸ばかりの檀家があったが漸減して半分以下になってしまったので、立科町町区の正明寺へ合併され廃寺となった。その持庵の薬師庵跡が境内の東の平地にある。
 境内にある欅の巨木はこの神社の古きを物語っており、正面入口の右の鳥居は明和三年(1766)に建立されたものである。
立科町教育委員会
立科町文化財保護委員会

八坂刀売神を祀るのは下社に関わるものか。各地の諏訪社にも建御名方神を祀るところ、八坂刀売神を祀るところ、両神を祀るところがあるが、地域性などがあるのだろうか。機会があったら整理してみたい。

欅の巨木のひとつ。

山門の様な、神楽舞台の様な。

境内社。

拝殿と本殿。

拝殿左側の石塔類。

医王山龍泉寺廃寺跡かは分からないが北側の平地。
北側の平地の土手下には墓石類。東の薬師庵跡というのがここか。





2019、6月初訪

管公社@佐久市協和

管公社は菅原道真を祀った天神林の鎮守という。
長野県神社庁HPには菅公神社とあり祭神は菅原道真命である。寛文3年(1663)の棟札があるという。

「望月町誌」天神城跡の項に、天神城は字本城であるが、菅公神社が「天神」とよばれる地名のもとであろう、ただし「長野県町村誌」協和村の「天神社」の項には「西の方・天神反に旧地あり」いつの時代にか今の地に移された伝承を持ち、菅公神社のある位置からみると、城に祀った神ではなく、集落の信仰の宮であるとある。

左の菅公社社標は1930年、比田井天来が書いた石碑。


鳥居。「管公社」とある。


鳥居の手前には道祖神。「天神の元禄の石造双体道祖神」とある。

石段。

拝殿。
拝殿横の祠は不明。

境内左側。



2019、4月初訪

足穂神社@東御市本海野岩下

西海野には二つの神社がある。 「足穂神社」は江戸期の村社で、飯縄権現が祀られ元飯縄権現と称していた下吉田村の産土神である。 一方の「 住吉神社 」は寛永8年(1631)千曲川の洪水で流された下深井村の氏子らにより大阪住吉神社から分祀し建立したものであるという。 西海野...