創建年月日は不明だが、口碑の伝うるところによると天慶三年(940)に王代神社として建立されたともいう。
東北方200メートルほどに昭和十年ごろまで医王山龍泉寺があったといい、その持庵の薬師庵あとが境内地の東の平地にあるという。
境内にあるケヤキの巨木はこの神社の古きを物語っている。
この周辺は太古の御牧に関係する地域とみられ、非常に歴史が古い。
「王代神社」の古名が気になるところである。
関連は不明だが、南500mには岩下氏に関わるものか「大城」があり、台地上には「高根塚古墳」も残っている。
鳥居脇の道祖神と馬頭観音?
鳥居。「諏訪大明神」とある。
参道を行くと大欅と案内板。
諏訪神社
祭神 八坂刀売神 事代主神
旧塩沢村(現立科町塩沢区)の村社にして諏訪大社の末寺である。建御名方神の妻である八坂刀売神と兄である事代主神を祀る。
創建年月日は不明ではあるが、口碑によると天慶三年(940)に王代神社として建立されたともいう。
現在の祭日は九月十七・十八日である。
境内社には火防の神である秋葉・愛宕の両社、大山祗神を祀る山神社、菅原道真公を祀る天神社などがあり神社統合令により明治四十年ごろ村内各地より遷座された石祠である。また、豊受社は戦後上原より遷座された。
社の背後、東北方二〇〇メートルほどのところに、昭和十年ごろまで真義真言宗智山派の医王山龍泉寺があり、江戸時代には三十戸ばかりの檀家があったが漸減して半分以下になってしまったので、立科町町区の正明寺へ合併され廃寺となった。その持庵の薬師庵跡が境内の東の平地にある。
境内にある欅の巨木はこの神社の古きを物語っており、正面入口の右の鳥居は明和三年(1766)に建立されたものである。
立科町教育委員会
立科町文化財保護委員会
八坂刀売神を祀るのは下社に関わるものか。各地の諏訪社にも建御名方神を祀るところ、八坂刀売神を祀るところ、両神を祀るところがあるが、地域性などがあるのだろうか。機会があったら整理してみたい。
欅の巨木のひとつ。
山門の様な、神楽舞台の様な。
境内社。
拝殿左側の石塔類。
医王山龍泉寺廃寺跡かは分からないが北側の平地。
北側の平地の土手下には墓石類。東の薬師庵跡というのがここか。
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