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2018年5月30日水曜日

荒城@上田市常磐城

中央より左の尾根先が牛伏城と荒城のある場所だが、後に写真は貼りかえたい。

築城年月及び城主は不明。「長野県町村誌」に「…往古戦争の時の物見ならんか。」、「小県郡誌」に「…所伝なし。或は村上氏連珠砦の一にして、牛伏城と此城とを併せて一郭と見るべきか。」としているという。
「信濃の山城と館」には「…高度が高い割には近隣の諸城への見通しは悪く連絡性は欠ける。花小屋城の一部は見えるが牛伏城は見えない。こうしたこちからも在地土豪の詰城的砦が、その後に太郎山の尾根を見張る砦として活用されたことも考えられる。」としている。
麓の虚空蔵沢の向いには矢島城がある。在地土豪であった北林氏を追放した神氏矢島氏の城という。矢島氏は諸資料から応永から永禄にかけて小県郡に存在したのは確かということであるので、目近の牛伏城・荒城はこれrに関わるとおもわれる。
ただ矢島城の南の堀の内に矢島氏居館があり、北の尾根上には眉間林の城があるとされる。牛伏城・荒城も全てが矢島氏に関わるとも言い切れない。

麓の虚空藏堂から登ると牛伏城を通るので、そのまま牛伏城の堀を越えて道を太郎山頂に登り進むことになる。

それなりに登る事になるが、途中左手に雨水貯めの窪みとも思える場所がある。但し当時の物の保証もなく単なる倒木の根の跡かも知れない。ただ中間地点辺りでもあり、この様な中継点があってもいいとは思う。
やがて坂が緩くなってきたら城域となる。

(ア)の堀切。小さく埋もれてもいるがはっきりとそれと判る。

(イ)の堀切。

写真では判りづらいが、(ウ)の二重堀切。

道の東側の二段の郭。

最上段の郭の北壁は(1)郭の高い切岸となっている。

(ウ)の堀切を振り返る。

(1)郭の虎口とおもわれる場所。
縁部に石積跡が残る。

虎口から見た(1)郭と郭北側の土塁。

虎口から登ってきた南方向の段郭を振り返る。


(1)郭東側は北側の土塁の裾がスロープ状に延び、土塁上に通じる。

縄張り図があった。

土塁脇の道。
土塁上から見た(1)郭。
土塁上は小さな郭程度の広さがある。石があったが、はて。

土塁上から見た(エ)の堀切。

(エ)の堀切土塁側切岸。
もしかしたら多少の石積があったかも知れない。

(オ)と(カ)の堀切。

城域北端から見た(オ)と(カ)の堀切。
なんだか心地よい稜線。

北への道は太郎山山頂まで続いているらしい。

西には沢向こうの尾根には眉間林の城があるという。
東は、?な展望であった。


後先が逆になったが、(1)郭南斜面の段郭を見てみたい。
特に道の西側にある二段の三ヶ月形の郭周辺には石積が多くみられ、雨水貯めの窪みと思えるものも伺えた。


2018、5月初訪

牛伏城@上田市常磐城

写真は尾根正面からのもので尾根続きの荒城が隠れてしまっている。そのうち良いものに張り替えたい。

牛伏城は牛頸城ともいう。尾根上方には荒城とつながり、さらに太郎山山頂に行き着く。
また、麓の虚空蔵沢の向いには矢島城があり、それを眼下に収める事ができる。

矢島城は在地土豪であった北林氏を追放した神氏矢島氏の城といい、矢島氏は諸資料から応永から永禄にかけて小県郡に存在したのは確かということであるので、目近の牛伏城・荒城もこれらに関わるとおもわれる。
ただ矢島城の南の堀の内に矢島氏居館があり、北の尾根上には眉間林の城があるという。牛伏城・荒城も全てが矢島氏に関わるとも言い切れないかも知れない。


麓の虚空蔵堂から登る。

やがてガレ場となる。
ここらで一旦平地になる。

この場所の遺構は直接城跡とは関わりないかも知れないが、実に面白いので少し取り上げる。

ここには岩壁を中心に削平地と土塁が散見している。
確証もなく無責任なことを言うが、もともとは牛伏城の番所的な施設があったものではなかろうか。
以下要点を挙げる。

明らかに人工的な削平地。

削平地と石に囲まれた井戸跡?にみえる遺構。

東側のこれは近世の桑畑の棚跡だろうか。


土塁跡か整地の際の土砂か。

中心的遺構。岩壁と平場と窪みと土塁。

岩壁横の斜面に石積らしきものもみられるが、意図は不明。

雨水溜めと思われる土塁脇の窪み。

この様な局地的削平地が何か所かある。


岩壁上の道に向かう。

岩壁上の道から見下ろす削平地。

岩壁上の道から振り返る。
少なくともこの辺りは自然地形に手を加えたものと考える。
いくら近代でもここまでの大工事はしないと思え、その場合要害としては最高の地形となったろうと思われる。
多少の根拠としては、この場所から牛伏城主郭の虎口まで堀も土塁も全く見当たらないことが挙げられる。
牛伏城北側は土塁と大きな堀切で遮られているのに対し、大手であろう南方面には一切の備えがないのは不自然であり、やはりここが防御拠点に当たるものと推測できないだろうか。

岩壁上の道から見下ろす別の郭状削平地。


岩壁上の道すぐの所の両側は多少の平場にみえる。
ここから主郭まで遺構の無い真っ直ぐの坂道が続く。

主郭の虎口。

かなり広い主郭。奥に土塁壁がみえる。


「信濃の山城と館」にある井戸。

縄張り図があった。

土塁。

北側の堀切。

東斜面の二条の竪堀は不明瞭。

南側と東側は腰郭状になっている様にみえた。

北側の堀切内部。
「信濃の山城と館」では二重堀切だったのではとある。

このまま北へ進むと荒城に行けるが結構な登坂となる。

牛伏城から荒城の途中、左側に窪みのある小さな平場がある。
或は中間地点の水場であったかもしれない。

ここからでも、荒城までもう少しある。


2018、5月初訪

足穂神社@東御市本海野岩下

西海野には二つの神社がある。 「足穂神社」は江戸期の村社で、飯縄権現が祀られ元飯縄権現と称していた下吉田村の産土神である。 一方の「 住吉神社 」は寛永8年(1631)千曲川の洪水で流された下深井村の氏子らにより大阪住吉神社から分祀し建立したものであるという。 西海野...