ラベル 四条霊社 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 四条霊社 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年2月19日火曜日

国定忠治の墓@長野市鶴賀権堂町


秋葉神社境内の西側奥に侠客「国定忠治の墓」がある。
すぐ横は四条霊社
権堂町は昔から善光寺門前の花街であり、それらを偲ぶ史跡といえる。
また東鶴賀町に在った「鶴賀新地」は明治11年(1871)に公娼制度によって、権堂町にあった遊郭が移されたのだという。

国定忠治の墓は権堂村在住の島田屋伊伝治と友人で、たびたび権堂に訪れたといわれている国定忠治の遺骨を、1967年(昭和42年)に群馬県から分骨したものという。

「赤城の山も今宵限り…」が有名だが、権堂にも「山形屋に乗り込んで父娘を救った忠治は、道で待ち伏せていた山形屋藤蔵たちを無言のまま斬り倒して去って行く…」という劇の場面があるそうで任侠物が好きな人には堪らないのでは。
権堂には忠治ゆかりの柳の木があったが昭和40年に切られてしまい、代わって昭和42年に権堂秋葉神社の境内に忠治の墓が作られたという。
最近、忠治の柳が秋葉神社に植樹されたというが未確認。









2019、2月初訪

四条霊社@長野市鶴賀田町

四条霊社は秋葉神社境内の西側奥にあり、すぐ横には侠客「国定忠治の墓」がある。


四条霊社
明治三十九年に創建。
料理の祖 神磐鹿六雁命と四条流包丁道の祖 四条山蔭中納言藤原政朝卿を祭神とする。
包丁・料理の神様として、全国に京都と長野二社だけという。
 拝殿の天井には、鯛や鮎などの見事な魚の絵が描かれている。

祭殿。包丁は見えるが天井絵は見えなかった。

本殿。

権堂町は昔から善光寺門前の花街であり、それらを偲ぶ史跡といえる。
また東鶴賀町に在った「鶴賀新地」は明治11年(1871)に公娼制度によって、権堂町にあった遊郭が移されたのだという。



2019、2月初訪



秋葉神社@長野市鶴賀権堂町

権堂アーケード通りに面した鳥居と勢獅子が印象的。


勢獅子(きおいじし)は、明治4年に長野県の誕生を祝して始まった獅子舞。市の指定無形民俗文化財である。30kg以上ある大きな獅子頭による暴れ獅子で、弥栄神社御祭礼の際に屋台巡行と併せて舞われるほか、善光寺御開帳などの際にも舞われる。桜枝町・松代町松代伊勢町・篠ノ井内堀・篠ノ井芝沢などにも権堂から派生した勢獅子が伝わる。(Wikipedia)




拝殿
祭神・軻遇突智命(かぐづちのみこと)。火伏の神様である。

ネット情報では、はじめ権堂の西の往生院境内にあったが、弘化4年(1847)大地震で焼失。
安政2年(1855)遠江国秋葉山から神像を勧請し、裏権堂通りに移り、慶応2年(1866)現本殿が完成。
明治27年社地が道路にかかることとなり、権堂町は社地約400坪を売って現在地に1000坪の土地を求めて移転、拝殿は明治30年にできたという。

慶応2年(1866)現本殿完成とあるのに、明治27年現在地に移転の意味がよく分からないが、現本殿を中心とした境内であることに違いはないものということか。

境内には四条霊社国定忠治の墓がある。

西側奥には四条霊社
料理と包丁の神様という。

四条霊社近くには国定忠治の墓
権堂村在住の島田屋伊伝治と友人で、たびたび権堂に訪れたといわれている国定忠治の遺骨を、1967年(昭和42年)に群馬県から分骨したものという。

縁起碑と三猿の石祠。


北西の入口。






2019、2月再訪

足穂神社@東御市本海野岩下

西海野には二つの神社がある。 「足穂神社」は江戸期の村社で、飯縄権現が祀られ元飯縄権現と称していた下吉田村の産土神である。 一方の「 住吉神社 」は寛永8年(1631)千曲川の洪水で流された下深井村の氏子らにより大阪住吉神社から分祀し建立したものであるという。 西海野...