すぐ横は四条霊社。
権堂町は昔から善光寺門前の花街であり、それらを偲ぶ史跡といえる。
また東鶴賀町に在った「鶴賀新地」は明治11年(1871)に公娼制度によって、権堂町にあった遊郭が移されたのだという。
国定忠治の墓は権堂村在住の島田屋伊伝治と友人で、たびたび権堂に訪れたといわれている国定忠治の遺骨を、1967年(昭和42年)に群馬県から分骨したものという。
権堂には忠治ゆかりの柳の木があったが昭和40年に切られてしまい、代わって昭和42年に権堂秋葉神社の境内に忠治の墓が作られたという。
最近、忠治の柳が秋葉神社に植樹されたというが未確認。
2019、2月初訪
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