権堂アーケード通りに面した鳥居と勢獅子が印象的。
拝殿
祭神・軻遇突智命(かぐづちのみこと)。火伏の神様である。
ネット情報では、はじめ権堂の西の往生院境内にあったが、弘化4年(1847)大地震で焼失。
安政2年(1855)遠江国秋葉山から神像を勧請し、裏権堂通りに移り、慶応2年(1866)現本殿が完成。
明治27年社地が道路にかかることとなり、権堂町は社地約400坪を売って現在地に1000坪の土地を求めて移転、拝殿は明治30年にできたという。
慶応2年(1866)現本殿完成とあるのに、明治27年現在地に移転の意味がよく分からないが、現本殿を中心とした境内であることに違いはないものということか。
境内には四条霊社や国定忠治の墓がある。
西側奥には四条霊社。
料理と包丁の神様という。
四条霊社近くには国定忠治の墓。
権堂村在住の島田屋伊伝治と友人で、たびたび権堂に訪れたといわれている国定忠治の遺骨を、1967年(昭和42年)に群馬県から分骨したものという。
縁起碑と三猿の石祠。
北西の入口。
2019、2月再訪
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