安土桃山時代、蘆名盛氏へのある夜の夢のお告げで黒川城の堀から見つかったとされる3体の地蔵菩薩像を日限地蔵として祀った西光寺(会津若松市)をきっかけとし松秀寺(東京都港区)から全国へひろがったという。(Wikipedia)
疫病が流行した元禄のころ、円宗和尚がこの地に住んでいた或る夜、夢枕に地蔵尊が現われ「日を限って祈願すれば治してやる」と告げられた。
そこで円宗が満願の献じ物はと問えば「麻の苧(からむし)を我が手にかけて祈り、その麻で痛むところをさすればたちまち治る」その代わり満願の時は「小豆団子で供養してくれ」と言い残して消えた―。後には三体の地蔵尊の掛け軸があった―。
この話が世間に流れ、日を限り祈願する者で大変にぎわった。特に安産には御利益があった。
天保10年8月、天田等一(あまだとういち)と言う人が近在の信者の投資をあおぎ、江戸白金の松秀寺尊像を受け、三日三晩大法会を行ない飄然(ひょうぜん)と村を去った。村人は姿の見えなくなった日を命日と定め碑を建立して供養している。(立科町HP)
御堂の裏手には五輪塔や十王像らしき石像。
2019、6月初訪
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