奉納された棟札の最も古いものは宝永七年❨1710❩で、現在地に本格的な諏訪宮一宇を建立した時のものという。
祭神は、明治十三年五月の県に報告した「森山村誌」に御穂須々美命とあり、同書では、この祭神は埴科郡坂城の諏訪社がそうで、また上田市の林之郷では社号が「御穂須々美神社」であることを記し、北佐久郡では横根村の諏訪社、下平尾村の諏訪社、上平尾村の十二社と新海社の四社❨いずれも現佐久市❩が祭神とするのみとある。
御穂須々美命は「出雲風土記」に見える女神で大国主命の子云々という。
ところが、明治二十年の本殿再建の棟札には、祭神が健御名富命となっており、明治二十七年の三岡村の寺社明細帳にも健御名方命とされ、祭神の故意による差し代えを指摘している。
森山集落から見た諏訪神社。
諏訪神社から見た森山集落。
南側から見た諏訪神社。
鳥居の左右の石造物。
石灯篭。森山で二番目に古い石造物で、正徳四年❨1714❩という。拝殿。
奥の祭殿の彫刻は見れない。
境内。
天満天神の祠
「小諸市森山の昔語り-森山孝盛・孝を中心として-」❨阿部照雄❩によると、右側が最初のもの、左が再建されたもので、森山で記録のある最も古い遺物❨寛永二十年❨1643❩❩という。
つまり、諏訪神社本殿の最古の棟札宝永七年❨1710❩より古いことになる。
境内社。
境内裏。
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