写真中央の山が城山で、裏側は西になるが、屋号「城山」と呼ばれる柳沢氏宅がある。
城山の北東下の水田地帯に「内城」の地名が残るというが写真手前一帯になろうか。
付近には他に、上王城(かみおき)・下王城・袋久保・谷地・蛇山・笹小路・郷主久保・作之城・五反田・女郎田などの地名があるという。
ここから東500mには彦狭島王の御陵という古墳があり、「長野県町村誌」では、故に王城、内裏窪の地名があるといい、按に古昔官舎の地なるべしとある。
彦狭島王云々はともかく、古代の伝承や近くの蓮華寺、春日一帯にある地名などが古い歴史を思わせる。
後者は伴野氏代官の長城新兵衛道光の屋敷跡ともされている。
屋号「城山」と呼ばれる柳沢氏宅。
一番下の写真は西側から。「信濃の山城と館」にイチョウの古木とかやの木があるとあるが、イチョウの木らしき大木は確認できる。
城山から田を挟んだ小山も気になるが、墓地になっている。
田の中の道から城山の北側に取り付くことが出来る。
登城口は南の集落の民家の間にもあるがわかりにくい。
城山城域の中間付近。
季節が悪かったのか雑草がすごい。
南側斜面は佐藤氏墓地と段郭状の畑地。
城域の西側半分は竹林に覆われている。
手は入っているようで、入り込めなくはないがやめておいた。
城域の東側も雑草に覆われていたが、道があったので辿ると謂れ不明の石塔に辿り着いた。
さらに東側は広い平地になっていて奥に祠が見える。
「信濃の山城と館」にある榛名山神社と桑神であろう。
昭和の初め頃までは舞台もあって村芝居も催されたという。
北側の斜面の一段下に郭状の平地がみられるが、これも城跡であるかはわからない。
史料等を漁っていないので、現状ではこれ以上記すことが出来ないが、後々追記更新したい。
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