2018年7月4日水曜日

机の城@東御市下之城



詳細不明。政所城とも。
この地が番屋川(藤沢川)の北岸であるのに下之城村に所属していたことから考えると、下之城の館を根拠にしていた望月氏の領有したものと考えられているという(「北御牧村誌」)。
この一帯が望月氏が直接支配したか、配下に支配させたかははっきりしないが、「政所」の地名から考えると、ここに政庁があり、相当に中心的な役割を持った所であったことが推察できる(「信濃の山城と館」)。
「図説北御牧村の歴史」は、鎌倉時代には滋野系藤沢氏がこれを守り、戦国期には有力参謀として藤沢村の竹居河内守、大日向村の村田丹波守がこのテ守将であったと金井重道氏は推測しているとある。
立科町藤沢は政所城の南西、番屋川(藤沢川)筋の集落で立科方面への交通路にあたり、大日向は北東、鹿曲川筋の集落である。
対岸の下之城切久保も関係するとおもわれる。


以下私見である。望月氏の本拠は下之城居館から望月城へ移ったと言われている。
それは、古くは望月氏の本拠が滋野からそう遠くない場所に在ったということで、「政所」からは海野氏古城の三分(屯倉)などに通じるものがある様に感じる。
滋野三家と呼ばれる海野氏・祢津氏・望月氏は牧に深い関わりをもつ大伴氏の流れを汲むといわれるが、その強い繋がりから初期にはそう遠くない場所、政治的中心地に近い場所に拠点を置いていた可能性はあろうと思われる。


鹿曲川を下り、千曲川に注ぐ手前東岸は島川原地籍だが「縁切り地蔵」があり、鎌倉期に、この地域最大の市が立った場所とされ、市坂などの地名が残る。
海野、祢津、望月氏の各支配権が接する位置であり、それはどの支配権にも属さない領域をあらわしているという。
千曲川の対岸は滋野であり、まさにこの島川原を中心に海野氏・祢津氏・望月氏の支配領域があり、行政機関も付近に集まっていたものかもしれない。

島川原の東には望月氏の重臣布下氏の居館があったとされている。
布下氏の詰城とされる堀之内城や楽厳寺氏の楽厳寺城は、室町中期以降の支配地とされており、浅科村方面も後期の所領である。現望月付近の茂田井や春日も他氏の勢力地であることを考えると、鎌倉期の望月氏支配の中心地は、やはり鹿曲川下流域の下之城付近であったのだろう。

時代は下るが、「生島足島神社起請文」の内の連署起請文。依田長門守頼房・楽厳寺雅方・依田・篠沢新九郎雅・布下仁兵衛雅朝・諸沢堪介信隆らは望月氏の重臣や一族であろうが、机の城に関わる者を印象でこれから抜き出すとしたら、依田氏であろうか。それは鹿曲川西岸の八重原台地が依田氏の色が色濃いからであるが、無論考察はしていない。


城跡は改変を受け、旧態は全くというほど残っていないという。
こうした段差も名残と思いたいが。

主郭とグラウンドの間の道。
これらも整地によるものであろうが、段差が城郭の名残を感じさせる。

体育館前。
「信濃の山城と館」の外堀をトレースしたかのような曲線を描くが、今となってはこの辺りが「数十メートル堀跡」であったという確証もない。

主郭と築山。
「信濃の山城と館」では、この「…築山の高さが主郭の面になると思われる。…」とある。

築山脇にある案内板
机の城跡
政所城ともいい、形状が机を立てたような様子から土地の人は「机の城」と呼んだという。
東は鹿曲川、南は番屋川(藤沢川)の水崖に臨み、西北には大堀切があった。
本郭の規模は東西二十間、南北三十間である。
天然の要害を利用した望月氏の出城であったという。

築山上のあずまや。
築山上から南先端を覗き込む。
主郭との段差部。一段下がって二の郭が周っていたという。

主郭南側の鉄塔のある削平地。
城の遺構を利用したものであろうか。

主郭南側の堀状の窪地。
鉄塔のある削平地と連動している様に見える。南側斜面を平地した工事により残された斜面に見えるが、或は主郭を取り巻く堀跡の遺構であろうか。

主郭の南側一帯は「信濃の山城と館」の縄張り図より大分変わっていると思われる。
まず番屋川の流れが違う。図に無い道路が通っている。広大な平地(埋め立て?)が広がっている。いずれここにも何らかの施設が建設されるのだろう。

上の写真は近年の工事により埋め立てられた平地と思われるが、城跡からは木立で見えなかった番屋川が見えた。

そのまま番屋川まで下りてみた。
番屋川の対岸や主郭東側の切崖をみるに、主郭南側も険しい崖であったことが想像できる。

東側面の切崖。
左は長野新幹線のトンネル入口付近。

立科町藤沢2000年「住所でポン!」より参考に。
桜井 19  市川 16 矢島 11  関 11  春原 5 土屋 4 小林 4  中山 3 徳嶽 3  橋本 3 永井 3  相場 3  金子 3  中島 2  今井 2  俵 2  若林 2 井出 1  原田 1  小宮山 1  山井 1  徳岳 1  忠藤 1  武井 1  町田 1 笹井 1  粢 1  荻原 1  藤沢 1  長井 1  関元 1  関守 1  関藤 1

大日向2012年「住所でポン!」より参考に。
直井 13 保科 9  内川 8  荻原 6 小林 3  佐藤 2 村田 2  橋詰 2  中島 1 丸山 1  井出 1  佐々木 1 大栗 1 大熊 1 山崎 1  山浦 1 市川 1 徳原 1  柄沢 1  森田 1滝沢 1  生井 1  白倉 1  笹井 1  谷本 1  越 1  関 1  青木 1

下之城切久保2000年「住所でポン!」より参考に。
中山 13  吉池 10  武井 9  渡辺 5 田中 4 大塚 2  小野澤 2 亀田 1  北 1 吉沢 1  田坂 1



2018、6月再訪

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