向って真ん中は如意輪観音で、左が縁切り地蔵。右は縁結び地蔵という。
縁切り地蔵には現在でも鋏などが供えてあった。
島川原は、鹿曲川が千曲川に流れ込む東岸に位置し、中世から望月道が東山道に通じるための渡し場が在ったとされ、交通の要所であった。
また島川原は、祢津・海野・望月各氏の中心地付近に当たる場所であり、ここにどの勢力下にも属さないで付近を包括するような大きな市が立ったと推察されている。
この島川原の市が立った場所に縁切り地蔵があることも、あるいはそんな意味もあったのかもしれない。
市神の存在は確認していないが、付近には市坂などの地名が残るという。
「北御牧村誌」から借用。
千曲川の対岸は海野氏領小田中と祢津氏領桜井の中間付近にあたる。
鹿曲川の対岸には望月氏に関するという政所城があり、となりの布下には望月氏一族の布下氏の居館が在ったとされている。
また、近くには島川原の諏訪神社があり、みごとな黒槐の大木がある。
2018、7月初訪
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