2018年8月1日水曜日

二子塚古墳@東御市本海野

千曲川右岸の第一段丘の突端に築かれている。
南側は段丘の崖で、東側も浅間田川の崖地形となっている。
袖無形の横穴式石室をもつ円墳で、古墳時代後期のものという。

古墳脇の説明板。

 
 


二子塚古墳の南方の地籍には、古代の屯倉に関わると思われている三分があり、東方にはやはり大和政権に関わると思われる県地籍がある。これらは古代この地域一帯の中心的な地であったとされている由縁である。
西方は海野氏の太平寺城があり、さらに西に行くと兜塚古墳中曽根親王塚古墳があり、これらは方墳で、この辺りに勢力を置いた大伴氏に関わるものではと推測されている。
二子塚古墳は古墳時代後期の円墳であるので、これらと直接関わるとは思えないが、当地域に在ったであろう権力者のものには違いない。




2018、7月初訪

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