南側は段丘の崖で、東側も浅間田川の崖地形となっている。
袖無形の横穴式石室をもつ円墳で、古墳時代後期のものという。
古墳脇の説明板。
西方は海野氏の太平寺城があり、さらに西に行くと兜塚古墳や中曽根親王塚古墳があり、これらは方墳で、この辺りに勢力を置いた大伴氏に関わるものではと推測されている。
二子塚古墳は古墳時代後期の円墳であるので、これらと直接関わるとは思えないが、当地域に在ったであろう権力者のものには違いない。
2018、7月初訪
西海野には二つの神社がある。 「足穂神社」は江戸期の村社で、飯縄権現が祀られ元飯縄権現と称していた下吉田村の産土神である。 一方の「 住吉神社 」は寛永8年(1631)千曲川の洪水で流された下深井村の氏子らにより大阪住吉神社から分祀し建立したものであるという。 西海野...
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