西500mに「中曽根親王塚古墳」があり、ともに方墳であるとのことで、古墳時代中期の5世紀後半ごろの推定としてよかろうか。方墳は出雲系の墳墓との説があるが、この辺りに勢力を置いた大伴氏に関わるものではと推測されている。
大伴氏は周囲の牧経営に関わると考えられ、後の海野氏の祖であるとの説もある。
東の方には三分地籍(屯倉)や県地籍があり、大和政権に関わると思われ、古代この地域一帯の中心的な地であったと考えられている。
この辺りには「二子塚古墳」もあり、これは古墳時代後期の円墳である。
蛇足だが、兜塚古墳の段丘足下は「願行寺跡」で海野氏の開基であったといい、天正十四年(1586)真田昌幸が上田城下に再興している。
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