口碑によると、第12代景行天皇40年、日本武尊が東征の際、碓氷峠から埴科の県に到来、当地日野の里、御陵が峯(五里ケ峯)の山麓で祖神を祀ったのが起源で、その後、飛鳥時代の天武天皇2年(673年)、この地で治国平天下を祈念して社殿が建立されたのが創建だという。
社伝では、諏訪明神の裔信濃国造埴科郡領などがここに集まって幣帛を捧げて治国天下を祈願して社殿を奉建したのが坂城神社の創建であるという。
天文元年❨1532❩、村上義清居城鎮守の神領として百二十貫文の社地の寄進を受けた。天文二十二年❨1553❩、武田信玄進攻による葛尾落城の際兵火にかかり焼失したが、永禄十一年❨1568❩、武田信玄が三十貫二百六十文の社領を寄進して祭祀の復興をはかった。後坂木代官長谷川安左衛門の庇護を受け万治三年❨1660❩社殿を修復し、祭器を整えた。
祭神は大己貴命・事代主命・建御名方命。❨「坂城町誌」より❩
境内参道。
手水舎。
参道の狛犬と鳥居。
木造鬼人面、木造獅子頭、狛犬が坂城町の指定文化財になっている。
天和2年奉納された狛犬。
江戸初期の天和2年(1682)8月の建立で、寄進者は坂木に陣屋をおいていた坂木藩板倉氏の家臣石川市左衛門義孝という。
拝殿前の石灯籠。
拝殿に掲げられた奉納額。
本殿。
拝殿右側の境内社。
拝殿左側の境内社。
拝殿裏側の境内社。
坂城神社は雷電との縁があるらしい。
神社の裏に葛尾城の登山道がある。
2014年8月初訪
2019、10月再訪
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