2018年7月14日土曜日

夏目田氏館@東御市県

「長野県町村誌」に「夏目田氏遺跡、県村中央夏目田組にあり。凡一町許り、今向屋敷と云う。里伝に夏目田左近将監国平居住の地と云う。大系図に夏目氏、夏目村の地頭職と賜ふとあり。」
棗村あるいは棗田村の名称は、夏目田氏の拠点であったことによるともいう。
中世この辺りは海野氏支配地であるので海野氏に関わり、居館の広さから相当有力な氏族と考えられるという。(「信濃の山城と館」)
向屋敷・番匠田・構の前の小字は中世豪族夏目田氏の居館跡と伝え、その小字は、おおよそ東御清翔高校グランドから、その北方の橋に通じる道の間までの一帯という。

当時からのものかは分からないが、東側から見た左のグランド(夏目田氏館)と右の校舎側との段差。
手前が求女沢川と二本ある橋のうちの下の橋。

西側を流れる求女沢川。
天然の堀の役目をしていたのだろう。


夏目田氏館跡とされるグランド。

北側、求女沢川付近から見た夏目田氏館跡。
この付近は段畑の古い石積や石塔があり、よい雰囲気である。
ただ館との関わりは素人にはよく分からない。

北側付近。
北側の求女沢川に向かう道。
以上の一帯が向屋敷・番匠田・構の前の小字であろう。
グランドからこれら北側一帯が夏目田氏館跡と伝わる場所という。

求女沢川の西側対岸には諏訪神社寿福院がある。
謂れや夏目田氏との関連性は知らないが、無関係ではなかろうと思われる。
写真は二本ある橋のうちの下の橋。

グランドの東側道路付近。

東側には、現在あがた御膳水公園があるが、周囲より窪地となっている。
夏目田氏館の直接の堀としては離れすぎの気もするが、関連性は在りそうである。


グランド北側は少し高くなっている。

さらに北側一帯は緩い傾斜の水田地帯。
祢津城が見える。


グラウンドから南側の校舎までは、付近の地形から元々は、なだらかな斜面であったと推測される。
校舎より更に南側、役所関連施設周辺は急斜面であったようだ。

求女沢川と奥の夏目田氏館。


「長野県町村誌」の「…里伝に夏目田左近将監国平居住の地と云う…大系図に夏目氏、夏目村の地頭職と賜ふとあり。」とある。
おそらく平安時代末期に奥州合戦での功によって信濃国更級郡夏目郷の地頭職を与えられた国忠の子国平が分家し夏目氏を称したことをいっているようで、「夏目左近将監国平」と「夏目田左近将監国平」は同一人物とも考えられる。
つまり夏目田氏と夏目氏が同一氏族である可能性のこと事をいっているように思われる。

夏名氏は村上氏の庶流であるといい、二柳氏初代国高の孫国平を祖とするという。
国平の父、二柳国忠は源頼朝に仕え、藤原泰衡に対する奥州合戦の時、軍功があって信濃国の夏目村の地頭職を与えられた。二男だった国平は二ツ柳家より分家し、夏目邑(石川邑夏目平)に移り夏目氏を称したという。
夏目国平は安元元年(1175年)? - 嘉禄元年2月3日(1225年3月13日)(Wikipediより)の人で、東御市の夏目田氏館もその時代まで遡る可能性もある。

夏目氏は、室町時代前期には三河国六栗に移住したといい、戦国時代には徳川家康に仕え、三方ヶ原の戦いで武田勢から家康をかばって討死した夏目吉信がいる。夏目漱石はその後裔であり、そのルーツは信濃の夏目氏ともいわれている。

そうなると夏目田氏と海野氏、或は祢津氏との関わりがどの様なものだったのかが気になるところである。
室町中期には、求女沢川東岸の祢津田中・祢津小田中は祢津氏支配(御符札之古書)で田中氏や小田中氏があり、大塔合戦(1400)では、祢津氏を大将とする配下に小田中氏の名があり、同じような条件の地にある夏目田氏が海野氏に関わるのも変である。
また、求女沢川と三分川の上流をみると、海野氏と祢津氏の領界は三分川と見るのが自然であり、夏目田氏が必ずしも海野氏と深い関わりがあったとは言い切れないように思う。
「東部町誌」にあるように、早い時期は各氏の所領がモザイク状に点在していたというので、夏目国平が安元元年(1175年)? - 嘉禄元年2月3日(1225年3月13日)の人とすると、その時代には夏目氏の所有地が在ったということになろうか。

夏目氏の城は篠ノ井石川の湯入神社のところで、夏目漱石の先祖の碑がある。
二ツ柳氏二ツ柳城跡もすぐ近く。
夏目氏が信濃を去った理由はわからないが、南北朝の動乱が考えられるか。
夏目田氏は夏目氏なのだろうか。




2018、6月初訪
2019、1月夏目氏の件追記

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