「畑山神社」 大字上野字畑山にあり、もと大星明神といい醍醐天皇延長2 (924)年諏訪神社を勧請し創建と伝えられる。嘉永元年4 月大法性神社と改め、明治11年3月19日畑山神社と改称された。祭神は建御名方命(たてみなかたのみこと)、八坂刀売命(やさかとめのみこと)である。明治6年4月村社となった。本社、拝殿、祝詞殿、鳥居(石造)を備え境内203 坪である。(「神科を歩こう ―上田市神科地域文化財の現況―」(2013年)より )
上田の「大星神社」の前身とされ、上田城の鬼門除けとして鎮座されたように、ここでは砥石城址の鬼門除けとして祭られていたのでしょう。 真田の本城と砥石の本城を結ぶと その先が上田城に一直線で結ばれます。 (「砥石・米山城の里 散策マップ」より)
鳥居。
案内板。内容は既記。
拝殿と由緒書き。
御祭神 建御名方富命
由緒 延長二年(924)の頃創祀 天正元年(1573)再建 元大星明神と謂う
嘉永元年(1848)大法性神社と吉田家より改称許可 明治六年 村社列格 明治十一年 畑山神社と改称
御神徳 (割愛)
境内社 天満宮
例大祭 十月一日
新田の「大星神社」の起源は、北東に隣接する前方後円墳を奉斎したもので、社伝によると醍醐天皇延長二年(924)社殿が改築されたとあり、一説に延長二年に諏訪神を勧請したともいう。一条天皇寛和二年(986)花山院法皇が参拝し、勅額三面(大法性、大法師、大星)を奉納したので明治初年まで大星明神と称されていたようである。
「畑山神社」も、延長二年(924)の頃創祀で天正元年(1573)再建。元大星明神と謂うという。
新田の「大星神社」の起源はかなり古いようだが、社殿が改築(諏訪神を勧請とも)された年と、根拠がわからないながら「畑山神社」創祀(諏訪神を勧請)の年が同じ延長二年(924)とされていることには意味がありそうである。
花山法皇の御親拝があったとも思えないが、この年に「大星神社」と称したものか。
大星も大法性も大法師も同意であろう。畑山の古い領主はわからないが「畑山神社」近くの「大輪寺跡」との関係もあるのかもしれない。
「大星神社」と称す神社は全国にあり、「星神社」はかなりあるようである。
近くでは北佐久郡御代田町や茅野市湖東にあり、ほかにもあるかもしれないが、茅野市湖東の「大星神社」は諏訪神を勧請したものという。
「畑山神社」が嘉永元年(1848)「大法性神社」と改称を求めたのは、やはり「大星神社」と伝承されていたためで、既に「大星神社」が在った為の社名で。それまでおそらく「諏訪神社」を称していたのではないだろうか。
それは、畑山の「大星神社」がある時期に新田に移ったことを暗示していると言えるかもしれない。
境内。
境内社。天満宮か。畑山神社から見た砥石城。
2020、3月初訪
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