「長野県神社庁」HPの「竹室神社」を引用する。
祭神は大山祇命と日本武尊。
古伝によると日本武尊が御東征の帰路、上野国より鳥居峠の四阿山(あずまやさん)を越えてこの地に来た時、村人は梢(こずえ)を折って仮屋を造ってもてなしました。そしてその跡に宮を建て、柴宮と称したと伝えられています。その後大山祇命を合祀し山祈神ともいいました。この柴宮の旧社地は旧長村の地籍になるので明治初年に現社地に遷し、明治11年、竹室神社と改称しました。
このように旧柴宮社地はきわめて由緒深い聖地なので、昭和15年260年記念事業として社殿を建設し奥宮として祀り今日に至っています。境内には日本武尊の足の跡といわれる神足石があります。
日当たりの良い南向き斜面で眼前には沢もあり、居住にも適地に思える。宮と言うからには高貴な人物に関わると連想されるが、日本武尊はともかくとして、ヤマトの官人が一時期居住したという解釈もできなくもない。
腑に落ちないのは、「柴宮の旧社地は旧長村の地籍になるので明治初年に現社地に遷し…」で、柴宮は長村の地籍にありながら竹室地籍の人たちの領分でもあったものか、歴史的に譲れないものがあったものか。
竹室神社は500m南にある。
上記と同じ由来が記されていると思われるが読んでいない。
2020、1月初訪
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