2020年2月2日日曜日

諸上屋敷館@小諸市大字諸上屋敷

「小諸市誌」に「大室氏居館址考」があり、「源平盛衰記」の白鳥川原に集結した武士に小室氏とともに大室氏があり、名も家譜もその後の事績もわからないが、大室の郷名から大室神社のある現諸付近に居住した武士であることが想像できるとしている。
騎乗の武士であるので館を構えていたと考えられ、その館址は不明ながら、字上屋敷・字窪屋敷・字中村等のいずれかではとある。
また、同誌の「大室大井氏館址跡」には、大井光長の嫡男大井彦太郎時光は大室を領したと伝わり、字上屋敷・字窪屋敷は居館を暗示するが、大室氏のものか大室大井氏のものか判別しかねるとする。

「源平盛衰記」の大室氏を考えるに、源頼朝によって木曾義仲が滅んだのが寿永三年(1184)。
義仲の武将である小室太郎忠兼と、その子眞光の同族と思われる小室光兼が幕府御家人として名があるように大室氏も存続したかもしれないが、大室には後に大井氏が入っていることから没落したのかもしれない。

大井氏の祖とされる大井朝光は、「承久の乱」(1221)の功で大井庄を賜ったという。
朝光の嫡子光長には7人の男子がいて、大室を領したのは大井彦太郎時光。時光の子には光家が確認できるそうだが、その後の大室大井氏の存続は不明という。
一説によると、出羽国由利郡に転出して存続したといい、由利十二頭の一の仁賀保氏の祖は大井光家といわれる。

文明十六年(1484)村上氏によって岩村田の大井城は落城、大井光照は小諸の宇当坂に居住したという。
光照には5人の子があり、小諸に居住していた四男伊賀守光忠を頼ったものと思われる。光忠は大室の跡目となるとあり、小諸大井氏が大室大井氏の系を継いだとも解釈でき、さらに言えば、小室氏の系も小諸大井氏に継承されたことも考えられなくもない。



「小諸市誌」でも「大室氏居館址」及び「大室大井氏館址」は、字上屋敷・字窪屋敷・字中村等のいずれかではとする程度である。
上屋敷地籍がどこからどこまでかわからないが、印象としては「弁天の清水」の辺りは水利から居館に相応しく思われる。
ただし、湧水は他にも多い地域なので水利だけでは説得力が弱い。大室神社との関係や古道との関係を考慮したい。
字窪屋敷は大室神社のところで字上屋敷に隣接する。
字中村はわからないが、おそらく字上屋敷の南側一帯ではないか。

「弁天の清水」。
弁財天神社
「弁天の清水」の上の公園のところ。

大室神社の標柱。





2020、1月再訪

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