明応二年(1493)、本願寺法主の蓮如から「養蓮寺」の寺号を授けられてこの地に開基された浄土真宗の寺という。
詳細は調べていない。
東側の山門と鐘楼。
寺の裏手は中沢川の深い谷で、この天然堀は鍋蓋城及び小諸城の北の防御となっている。
中世小諸一帯は小諸大井氏の支配地で、鍋蓋城は大井光忠が長享元年(1486)に築いたとされている。その後光忠の子息大井光為により現在の小諸城二ノ丸に乙女城が築城され、武田信玄の支配は天文二十三年(1554)とされる。
養蓮寺も鍋蓋城にからんだ施設であると想像できるが、大井氏と浄土真宗との関係が気になるところ。
本堂。
経堂か。
南側の門柱。
雷電の生家、関家の菩提寺で、文化12年(1815)に寄進したと伝わる雷電が着物の袂に入れて持参したという鐘(雷電のたもと鐘)には「雲州願士 雷電爲右衛門」の刻印があるという。2019、12月再訪
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