![]() |
源忠寺石門 |
寺伝では、弘安元年❨1278❩、然阿良忠記主禅師によって創建されたという。本尊は阿弥陀如来像で、脇侍が観世音、勢致両菩薩。初め島寺と称していたが天正十五年❨1587❩、中興開山行誉設我の時源忠寺というようになった。浄土宗中本山として松代藩から寺領二石を給せられた。元禄三年❨1690❩寺塔消失、同四年、中興開山精誉上人によって再建、江戸時代には観音堂、阿弥陀堂、十王堂、大平日堂、薬師堂を有したが、現在は観音堂、阿弥陀堂、大日堂が残存する。
明治二十六年❨1893❩、二二世理誉上人遷化以後、無住寺となり荒廃したが、現在再興の途にある。❨「坂城町誌」❩
上平には村上氏島館や福沢氏館があり、村上氏の本拠地である。寺伝を信じるなら創建年代は古いが領主等に関わる由来は不詳。
六地蔵。
「坂城町誌」に、現在は観音堂、阿弥陀堂、大日堂が残存するとあるが、見落としたのか、この小堂と本堂のみが確認出来た。
本堂。
0 件のコメント:
コメントを投稿