寺伝によると、正長元年❨1428❩の創建とされ、本尊は阿弥陀如来、京都知恩院末派である。
慶長五年❨1600❩火災によって焼失したが、同十一年❨1606❩僧源沢が中興開山となった。
天明四年❨1784❩再度焼失、寛政二年❨1790❩再建して現在に至る。❨「坂城町誌」❩
京都知恩院末派なので浄土宗。
正長元年の創建というので、村上氏にかかわる者による開基と思われるが不明。
火災にあった慶長五年は関ヶ原の戦いのあった年。西軍についた真田氏にかかわるものだろうか。
山門。
観音堂。
本堂。
本堂の鐘。
本堂横。
名は昌言。字は子聞。立町油屋に生まれ、村の年寄役を勤め、多額の私財を投じ多くの苦労と反対にあいながらも開墾し村民の生活向上に寄与した。
平沢山に昌言神社があるが、稲玉徳兵衛昌言に感謝した村民が文久年中小祠を建立して、稲玉徳兵衛昌言を生きながら神として祀ったものという。
また、稲玉家氏神というのが御所沢琴平山の秋葉社のところにある。
2019、12月初訪
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