2019年11月16日土曜日

観音坂城@埴科郡坂城町南条横尾

「長野県町村誌」に「本村の北部住環の傍にあり、今畑地となる堀の形等あり、天正一二年❨1584❩三月上杉景勝幕下、村上義清の男、村上源五景国海津城よりここに移る、慶長三年❨1598❩三月景勝、封を奥州会津へ移し、後廃城となる。」とあり、絵図がのっているらしく、現在稲荷社のある東南にあたっての広大な地籍に及ぶらしい。
当時は北と西に堀跡が残っていたといい、城坂の字地は古く城跡であったことを物語る。❨「坂城町誌」より❩
同書では、城跡の由縁は全く知るべきものがないが、天正十一年❨1583❩から同十二年❨1584❩に及んで、上杉氏と真田氏の間で虚空蔵山の取り合いとなったが、上杉方の指揮所が設けられたことが想像されるとし、村上景国居所というのは更に研究を要すとしている。
「信濃の山城と館」には「町村誌」「南条村誌」の記事に❨景国観音坂城へ移ったのは天正十一年が正しい❩と追記しながら、「更級埴科地方誌」では村上景国築城説ではなく上杉指揮所をとっていると記し、さらに同書では鎌倉時代にいた薩摩氏の一族、薩摩十郎左衛門祐広の館跡がはっきりしないので、或いは観音坂城はその館跡を再興したものかも知れないとあると紹介している。


坂城稲荷社。

坂城稲荷社の裏の土塁。

土塁上からの眺めはよいが、東と南に防塁の類いは見当たらないが一帯の畑地が敷地となろうか。
北から西には葛尾城、出浦城、三水城等が、東南には虚空蔵山城や和合城が見える。


「坂城町誌」の北と西の堀とは、北の前沢川と西の段丘の崖のことであろう。
北の前沢川の崖。

西の段丘の崖


近く金井に内畝がある。


2019、10月初訪

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