古安曽鈴子に「御所畑」と呼ばれる一画があり、それなりの人物が居住していたのではと想像されている。
史料、伝承等なく不明だが、塩田城の「御前」の地名から鎌倉期にまでさかのぼり、塩田北条氏に関連する人の館でないかと考えられているようである。一説に「尊卑分脈」にある塩田北条氏初代の義政の子、二代国時の兄の越後守時治の館があったのではとも考えられているが、それを決定づける資料は今のところないという。❨「信濃の山城と館」より❩
「信濃の山城と館」では、地名のみで遺構は見当たらないが、尾根川沿いに明治11年まで習成学校が在っことや、旧家塩入氏の本家跡ともいわれ、また南の古道が鍵の手に折れていることなどから、およそこの辺りであろうと縄張り図を記している。
古道が鍵の手に折れている
御所橋
尾根川
2019、9月初訪
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