狼煙台として絶好の場所というが、はっきりしたことはわからないらしい。
「信濃の山城と館」では、麓の向反集落で「栃久保城」についての聞き込みをして「火打山」のことが出てきたという。「栃久保城」の出典が記されていないが「町村誌」あたりであろうか。筆者は未見であるが、そう言った伝承等が存在したということであろう。
同誌では、春日城が谷中の山のために、春日城より70mほど高い見通しのきく山へ狼煙台を置いたものと推定し、西側の合ノ沢から八丁地川の谷や芦田へ通じる山道があり、その監視も受け持っていたものと思われるとしている。また南の沢は山寺の地字で大門の地名が残り、更に南には「竹の城」の集落があり居館跡が推測されるという。
芦田へ通じる山道というと、芦田には芦田城がある。
見通しは周囲の木立でよく分からないが、春日方面は確かに良さげである。
ただ、筆者は南の「竹の城」の集落を特定出来ていないが、地図を見る限り集落はずっと南にしかないので直接の関係は無いように思える。ので別のテーマとなりそうである。
道路から適当に取り付くと、奥の方にそれらしき高まりがみえる。
写真でははっきりとしないが、方墳状の台が確かにあった。
「信濃の山城と館」の縄張り図の形であるかはよくわからないが、辺には確かに抉れがあり、全くの正方にはみえない。
少し北側に行ったところに塚のような盛土が一つあった。
山道の峠付近には、こうした塚が存在することがあるのを筆者も経験上知ったが、単基の場合と複数の場合がある。領土を接している峠付近には複数の旗塚であることのように思えるが、その役割は判然としないものも多い。
東側の急斜面以外はおよそ緩い傾斜地といえる。
小屋掛けした場所ではとされる。
2019、5月初訪
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