もとは大字上野字鴻呂館及び矢花地籍にかけて20数基があったという資料もある。
周囲広範囲には弥生後期の矢花遺跡が知られており、矢花七つ塚はこの遺跡の中央にあるのだという。
七つ塚の7基のうち3基は完全に破壊されてしまい、第6・8・9・ 11号墳がかろうじて確認できるという。6号墳は矢花の七つ塚の中心的古墳である。
「矢花の七つ塚」の北にある鴻呂館地籍の「新屋古墳群」の4基は、3基が残るが第1号墳以外はわずかに石室が確認できる程度になってしまっているという。
「矢花の七つ塚」は果樹園の中にある。西の道路脇の道祖神のところか、北の道路から入ることになる。
案内板が建っているところが「上田市文化財マップ」の第8号墳の写真と同じと思われ、上には石祠もある。
6号墳の西隣にあるもので、石室の一部がわずかに残っており、南北約5.2m、東西約7.1mの規模をもつものとのこと。
第8号墳のすぐ西隣の高まり。よく見ると石がゴロゴロしており古墳であろうか。
古墳であるなら、残存する4基の古墳では最も破壊が激しいという9号墳であるかもしれない。
すぐ近くにはもう一つ、それらしい形跡がある。
11号墳は天井石、奥壁、側壁の一部がわずかに残るとあるが、ここでは奥壁か側壁と思われる平石が立っているのを確認できる。これが11号墳かもしれない。
道を迂回して行くことが出来る。
ついでだが東の土手斜面を覗くと巨石がゴロゴロしている。石垣は畑の土留のものであろうが、巨石は古墳を撤去したものであるのかもしれない。
2019、4月初訪
0 件のコメント:
コメントを投稿