地蔵菩薩像や五輪塔の残欠が散在し、この一画は異様な雰囲気がある。
手水鉢yearsあ石臼の台座のようなものまである。上記武井家・湯本家両氏の先祖の墓というがこの地域においての関りは未調査。
新屋堰(龍王鼻堰)の歴史と隧道開削の事情が記されている。道路拡幅により平成21年現在地に移設。(神科を歩こう ―上田市神科地域文化財の現況―)
隧道記念碑の前の小さな空地は、神科新屋の回場(まわリぱ)の跡という。葬列がそこで数回回り見送リの人びとと死者が氷劫の別れをしたという。(広報うえだ№1232)
こういった事を踏まえると、この辺りが古くから祭祀に関わる場所であったことが想像できる。
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