2019年4月19日金曜日

足島神社@上田市上野足島

字足島にあるため足島神社というのかと思うが、もとは諏訪社で祭神も建御名方命、八坂刀売命という。
創建、由緒ともに不明というが、ここの地名が足島というのは何かありそうである。
染谷台地には条里的遺構が残り、信濃で最初の国府が置かれたと推定されているが、その中心地とされる場所から鬼門(北東)の方にあるのが足島神社なのである。

足島と聞くと、生島大神・足島大神の二神を祀る式内社生島足島神社を思い浮かべる。
筆者は生島足島神に関しての十分な知識を持ち合せていないが、生島大神は「生みの神」、足島大神は「満たす(足らす)神」、 つまり「生く国、足る国」に通じ、生嶋巫祭神2座として宮中で祀られる重要な神という。

その足島の地名がここにあることの意味はなんであろう。足島神社は延喜式神名帳に載るような神社ではないが、延喜式以前に遡る古社の例は出早雄神社や馬脊神社などがあり、逆に式内社でありながら荒廃した神社もある。或は歴史的背景を考えると意外と起源は古いのかもしれない。
また、諏訪社であれば上社と下社があるだろうし、足島があるのだから生島地名もどこかにありそうと考えるのは素人考えであろうか。

オカルトな話のついでに蛇足だが、近くに伊勢山樋の沢地籍がある。江戸時代には東御の祢津に次ぐ歩き巫女の多い里であったようで、先出の生島巫と関連し足島神社の巫女を想起させる。

鳥居には「立梶の葉」紋。

鳥居の左側。

拝殿。

大字上野字足島にあり、もと諏訪社といい明治26年5月足島神社と改称。祭神は建御名方命、八坂刀売命で創建、由緒ともに不明である。境内社に子安社、厳島社、山祇社、天満社があり、明治6年村社となった。本社、拝殿、祝詞殿、鳥居(石造)を備え 境内513坪。参道には亭々たる巨松の並木が続いて壮観を誇っていたが、昭和23年のキテイ台風で大半を折損し、のち伐ってしまったが昔を知る人にはなつかしい思い出である。参道入口に常夜燈(明治39 年日露戦勝記念)がある。

本殿。
拝殿左側。
拝殿右側。
参道入口の常夜燈とあるのは、ずっと南の集落内の交差点脇にあるようだ。
つまり参道は300mはあろうかと思うのだが、巨松の並木が続いたという景観を想像してみたい。



2019、4月再訪

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