2019年2月15日金曜日

長嶋の堀之内@上田市住吉堀之内


小宮山氏居館跡(通称・長島ノ館)とされる。

「千曲真砂」によると米山城とは「小宮山城」とあり、そのことから海野氏の配下の小宮山氏が山城とともに、この堀之内の館も造ったのだろうと考えられている。(「信濃の山城と館」)
小宮山氏は海野氏の一族で佐久の小宮山を所領していた。伴野館を居館としていた伴野氏が、大井氏との争いの中で文明年間(1469~1487)頃に小宮山に隣接する地に前山城を築き拠点を移したころに小宮山を去ったということだろう。
海野氏は佐久地方に支族を出しているが、村上氏が小県に進出してくると上田方面に勢力を注ぐ方針にした形跡がある。
小宮山氏が「小宮山城」を築き、その居住地がこの「堀之内」ではと考えられている。
支配地は虚空蔵山から笹井、岩門、国分寺辺りまでの神科台地の上と考えられているようで、もとは地頭太田氏が領していたものが、何時しか海野小宮山氏が取って代った様子が「御符札之古書」からわかる。

「東條健代神社」の目の前の道。

矢出沢川を挟んで正面一帯が「堀之内」。
「信濃の山城と館」ではこの道のところに「高土手」とあるが説明はない。おそらくこの北200mのところの「高土手」との誤記であろう。

道の右手は「宮平」というらしい。
宮とは東條健代神社のことだろう。

神社前の道から見た「米山城」。
白壁の家の前辺りが「高土手」跡とあるところ。

矢出沢川と対岸一帯の「堀之内」。

矢出沢川。
丸太の橋を渡る。

対岸一帯はそう広くない草藪で3m程の高さの土手下であり天然の堀としたと思われる。
よって土手の上が屋敷地であろうか。

草藪北側の道は虎口にも見えるがどうか。

土手の上は屋敷地内と考えられるが、西側の沢添いはかなり荒地。

矢出沢川と支流の合わさる北西端。
もっとも城跡らしさがあるかと期待したが藪で覆われていた。

矢出沢川の支流と「米山城」。

矢出沢川の支流西方向。
矢出沢川の支流東方向。
北側の境界であろう。

「長嶋の堀之内」全望。

「長嶋の堀之内」と「米山城」。

北側から見た「長嶋の堀之内」

「長嶋の堀之内」から南側を見る。


長嶋の堀之内の西の矢出沢川を渡った北側、東條健代神社の北方200m程の場所に「高土手」があったという。
果樹園造成の際に壊されたが高さ約2m程度の土塁で、金剛寺集落の南城戸として機能したという。

「高土手」の東側は「薬師寺」地名であるようで気になるが未調査。



2019、2月初訪


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