戦国時代、東南方向から金剛寺集落に入る場所であることから番所が置かれたという。
番所は北東の金剛寺峠にも置かれたといい、金剛寺峠は当時上田から傍陽への唯一の街道であったので当然在ったものであろう。
南への配慮としては東條健代神社近くの「高土手」に番所が在ったのかもしれない。
金剛寺集落が城下町として成ったのは村上氏の砥石城時代だが、金剛寺峠がある以上真田氏時代もこれら番所は機能したものであろう。
案内板
五輪塔の残欠が残るというのは、この石積の中と思われる。
2019、2月初訪
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