御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
秋葉大神(あきはおおかみ)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
創立は不詳です。応永元年(1394年)とも、享禄四年(1531年)諏訪神社の分霊をうつし祀ったものともいわれています。旧上洗馬村の産土神です。元正元年(1621年)に再建の記録があり、また天正年中(1573年~91年)真田昌幸公より洗馬郷の高辻の内、永弐百文除地社附せられ、元和八年(1621年)8月仙石越前守が上田へ入部以来社寺領の改革がありましたが、明治3年10月社号を上洗馬と改称しました。なおここには戸隠信仰があり、干ばつの時には戸隠神社から御水をいただき神前に捧げ降雨祈願したといいます。また、奉納年代は不明ですが「黒馬と白馬」「赤馬と白馬」などが描かれた絵馬が奉納されています(長野県神社庁HP)
諏訪神社の分霊をうつし祀ったものともいわれるとあるが、建御名方も八坂刀売の名もないのは不思議。
鳥居。
拝殿。
「黒馬と白馬」「赤馬と白馬」の絵馬も見える。
本殿。
写真では判り辛いが、かなり豪勢なつくりだと思われる。
写真では判り辛いが、かなり豪勢なつくりだと思われる。
鳥居両脇には旧鳥居と思われるものが。
手水舎も見所のひとつ。
ここに目通り周囲9メートル、樹齢約千年と推定される欅の巨木があったそうだ。昭和五十七年八月一日の台風で基幹を残すのみとなったいう。
享禄4年(1531年)諏訪神社の分霊を勧請(かんじょう) して祀り、明治3年に上洗馬神社と改称した。以前存在し た社叢(しゃそう 神社の森のこと)は欅(けやき)の巨木 を主体としたもので社前に大木が4本あり、最大の木は目通り周囲8.2m、樹高約30mに達し、樹齢は推定800年と推定されていたが現在はその面影を残すのみである。(真田三代 傍陽コースより)
本殿裏の石塔群。
穴沢集落。
中央奥の穴沢集落。右の山間は三島平で半田入谷川が流れる。
前後の脈絡があるのだが上洗馬神社に関わる部分だけ転載した。
享禄四年(1531年)諏訪神社の分霊をうつし祀ったというのに、建御名方の名も八坂刀売の名もないのはその為かもしれない。
また、白山神と深い繋がりがあったということで真田氏との関係も想像できるのは面白い。
2018、12月再訪
2018、12月同日半田大明神の項追記
0 件のコメント:
コメントを投稿