真田幸隆の重臣の一人河原隆正の墓所といわれ、「おねこさん」とも呼ばれるという。
「おねこさん」の意味はわからない。
また地元でこの辺りは「御天神さま」と呼ばれ、すぐ北方には天神宮があるが河原氏の屋敷神という。これら付近一帯が河原氏の屋敷跡といわれている。
中央の五輪塔は完全な形を保ち、綱家が亡くなった寛永11年の銘があるという。
河原隆正の跡を継いだ河原綱家の墓とされる。
また奈良時代に遡るともいわれる「童女堰」(吉田堰)は石舟から東御市まで引かれているが、その取り入れ口に近いことは立地に考慮されているものだろうか。
写真の見切れた右手、エットの坂を登ったところが真田氏本城になる。
河原多丹波守隆正の妹は幸隆の妻であるとされており、つまり信綱・昌輝・昌幸兄弟の母ということになり、親戚関係にある重臣であったということになる。
彼女の墓は、長谷寺に幸隆の隣に並んで建っている。
河原氏については他でやりたい。
この辺り一帯が河原氏屋敷跡とされている。
2018、11月「童女堰」の行追記。
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