「信濃の山城と館」をトレースしておおよその絵図を描いてみた。
鹿曲川のつくった段丘上にあり、南はすもも沢、北は堀となる。東側が背後の山と地つづきになるが、おそらく県道の辺りに掘割が施されていたと思われる。
現在はバイパスが通っており、城址の西先端部分が削られており「信濃の山城と館」の縄張り図とは若干の違いがある。
八反田公民館の所が主郭とされる場所。
一段下がって倉庫らしき建物があるが、それも含めた一帯が主郭であろう。
北側の堀跡。写真ではわかりずらいが明らかな窪みが残っている。
北側の堀の下部はバイパス(左)の盛土に遮られた窪地状となる。
歩道はトンネルで段丘下に抜けられる。
県道の北側から見たもの。
ガードレールはすもも沢の橋で、その向こう側が城域である。
右側の民家が「信濃の山城と館」にある1の郭であろう。
民家の後はゆるい斜面で裏山につづいており、城館の防御としては最も弱い。
或はだが、民家が半地下の造りであることから堀が在った遺構の名残と思いたい。
民家を少し南側に行った所。すもも沢の流れる東側斜面。
複雑な地形だが城の遺構と関わるものかは判断できない。
この下を通る道が旧街道と思われる。
「信濃の山城と館」にある主要路がこれで、「…この道筋を見張るには格好の場所と言える」とある。
写真左奥(南)の方向には下之城居館が、右手方面(北)に行くと政所城がある。
同誌には「城主・城歴不明。望月氏の初期の居館である下之城居館の北の守りを受け持っていたと思われ、望月氏の係類に属するものが配されていたものと考えられよう。」「…望月氏が望月城へ移ってからも、下之城と共に鹿曲川沿いの監視に当たっていたことが考えられる。」とある。
写真中央の林は渡邊家の一族墓地であった。
一丁田城や望月氏と渡邊氏の関連性は不明。今思い付くのは武田氏家臣の渡辺氏だろうか。おおよそ望月氏滅亡後に武田氏の家臣が入った経緯と思われるが、いずれ考察してみたい。
参考に「住所でポン!」2012年八反田、渡辺 20 大塚 8 鹿田 2 倉沢 1 吉沢 1 大井 1 小林 1 9 広田 1 比田井 1
2018、6月初訪
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