大日堂跡と国分寺道跡 |
この城跡を縦に突き抜ける国分寺道は、祢津街道から国分寺に詣でる古道であったという。
幕末に活文禅師が隠棲し寺子屋を開いた場所で、佐久間象山が松代から通って教えを受けたことで知られる。
活文禅師は松代に生まれ、10歳で和田の信定寺で得度、のち長崎に遊学し対馬まで出かけ世界の大勢に目を向けた。45 歳で上青木の竜洞院の住職となったが間も無く辞し、51 歳で岩門に隠棲した(文政八年(1825))。
門弟は千余人といわれ、54歳で常田の毘沙門堂に移り、70歳で生涯を閉じた。
教えを受けた多くの子弟の中には高井鴻山や山寺常山がおり、幕末に活躍した多くの人材がいる。
当時の大きさは建物の構造から見て約70平米(21 坪)くらいと推定されている。庭には象山駒つなぎの松(2代目)がある。
象山駒つなぎの松 |
堂内。当時の大日堂はもっと小さかったと推測されている。
岩門集落 |
2017、春
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