2017年9月3日日曜日

岩門神社@上田市


岩門神社
「大字古里字社宮司にあり、もと諏訪社といった。明治19年8月岩門神社と改称。祭神は建御名方命、前八坂刀売命である。文化3(1806)年11月の再建であるが、由緒、創建月日とも不明。境内には阿夫利神社、金比羅社、天満社、山祗社、三峰社、三島社が整然と祭られている。明治6年村社になった。本社、拝殿、祝詞殿、鳥居(石造)を備え、境内162 坪で神川を眼下にする景勝の地にある。」(神科を歩こう・神科地域振興協議会)より



もと諏訪社であると言うのは祭神が建御名方命、八坂刀売命であることから伺える。
因みに八坂刀売命は建御名方神の妃神である。
文化3年(1806)11月の再建以前の由緒、創建月日も不明とのことだが、土豪の氏神や産土神を起源の可能性はある。また隣接する岩門城との関わりが指摘されるので、少なくとも室町後期、海野氏や地頭であった太田氏に関わるなら鎌倉時代にまでは遡れそうである。

神社のすぐ下に茅野家の墓地があり、家紋が「立ち梶の葉」でもあり、諏訪社である岩門神社と関わりがあるのかもしれない。その場合真田時代以降の関わりであるのか、それ以前の関わりであるのか興味があるところである。

茅野氏には諸流あるが、比較的関係ありそうな所では長野県茅野市発祥の茅野氏か。
鎌倉時代から記録のある地名らしい。「千野」とも表記し、「チノ」とも「カヤノ」などともよめるが長野県では「チノ」が主流らしい。
諏訪神党であるので「梶」紋も肯ける。諏訪家の家臣に見え、後に武田家に従っている。武田家滅亡後真田家に従った茅野氏の一流がいたということだろうか。

「守谷文書」の神長官知行目録(信濃史料叢書)の中。
小縣郡
一五貫文                                    禰津殿
一三貫文                                    浦野殿
一二貫文                                    丸子殿
一壹貫文                                    常田殿
一同            □けこう                  岩かと
一十貫文      近年無之                  海野殿
一三貫文      是もさらしなか         室賀殿
この岩かとは茅野氏のことか?

宮の坂
宮の坂は岩門城の北の堀の延長線上にあり、神川の河原に落ちている竪堀跡に作られたものであろう。
岩門神社と岩門城はここを境にで接しており、境内も城域、或は関連施設があったのではと推察されている。
岩門城跡参照

岩門城との境にある竪堀周辺には矢竹が生い茂る。

 岩門神社鳥居前から岩門城(大日堂)方面を見る。


岩門集落の辻


0 件のコメント:

コメントを投稿

足穂神社@東御市本海野岩下

西海野には二つの神社がある。 「足穂神社」は江戸期の村社で、飯縄権現が祀られ元飯縄権現と称していた下吉田村の産土神である。 一方の「 住吉神社 」は寛永8年(1631)千曲川の洪水で流された下深井村の氏子らにより大阪住吉神社から分祀し建立したものであるという。 西海野...