発電所跡 明治35 年8 月11日、はじめて上田町内に電灯が灯った。その 発電は畑山発電所でおこなわれた。資本金5万円。明治33年発足の上田電燈会社により、明治34年竣工。60KWの発電機2基。畑山の上手神川と洗馬川の合流点で水をせきとめ、発電所まで通水。しかし「電気と雷は兄弟分なので雷がおちやすい」「十燭光一燈五十六銭から七十銭と値が高い」「根のない木を植えてどうする(電柱)」と電気はなかなか売れなかった。畑山の利用はわずかに1燈(堰の危険防止用)であった。一方「水が火になる」と見物者が増加して一名所となった。昭和41年廃止。上田市指 定文化財。(「神科を歩こう ―上田市神科地域文化財の現況―」(2013年)より )
畑山発電所跡
明治三十五年(1902)、当時の上田町に電灯をともした発電所の跡です。水力発電の原理を知るはずもない町民らは、「水が火になるなんてまやかしものだ…」と本気で論争したそうです。
この発電所は、明治三十三年設立の上田電灯株式会社によって着工され、翌三十四年竣工、送電線などの付帯設備を整備してよく三十五年送電の運びとなりました。最初は60KW発電機1基での送電でしたが、まもなく60KW発電機がもう1基増設されています。明治四十三年には横沢発電所(真田町)、川原柳変電所が完成し、電力供給は KWとなっています。
その後上田電灯株式会社は信濃電気株式会社~長野電気株式会社をへて、現在の中部電力へと合併吸収され、昭和二十年(1945)の神川水害により当発電所が休止となる四十二年間電気を送り続け、上田の町の繁栄を支えました。そ して、昭和四十一年には正式に廃止となり、現在に至っています。
現状では発電施設や送電線などはありませんが、導水管部がほぼ完全に残り、排水溝などもよく残されています。この遺跡は、日本の近代文化遺産として、あるいは電気事業資料として、上田市はもちろんわが国としても貴重な遺跡となっています。
上田市教育委員会
2020、3月初訪
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