創建は南北朝時代にさかのぼり、上平の産士神として、大己貴命、歴史に名をはせた村上義光を合祀し今日に至っている。
村上義光は南北朝時代の初期南朝の後、醍醐天皇の皇子護良親王の身代となって吉野山で討ち死にしたことで有名。
今日春祭りには、町文化材に指定されている太々神楽が盛大に奉納され、釈祭と年越祭には獅子舞の大神楽が奉納されている。(「長野県神社庁h」より)
実際この場所には、自在坊という修験が住んでいたらしい(「村上氏フォーラム」)。時代的なことはわからないが、社領も持たなかったらしい。もとは庵がある程度のものだったのかもしれない。
村上義光が合祀されたのは明治30年代頃で、経緯事情はここでは割愛する。
麓の入口には「烽火台」とある。
自在山の山頂は出浦城跡で村上氏の狼煙台とされている。
麓からの景色、坂城町と遠くに虚空蔵山。
眼前には村上の集落と三水城・孤楽城。
鳥居。
太々神楽殿とある。
背後の地蔵堂(推定)を本殿に見立てた拝殿のように見えるが神楽殿であるらしい。
この太々神楽は、自在神社の春季例祭(4月第4日曜日)に、上平区の氏子によって奉納されている。神社の祭神は大己貴命で、村上義光公が合祀されている。古来村上氏の崇敬 が厚く、同族の出浦氏の産土神であり、出陣にあたって社頭で神楽を舞ったものといわれる。…以下略
背後の地蔵堂(推定)。
十二沢とある。謂れ不明。
途中の鳥居。
磐座を祀るものらしいが謂れ不明。
或は、古い参道の名残か。
石段に戻ってさらに上がると、やがて自在神社が見えてくる。
石段を上がりきったところ。
石灯篭だったらしい。
拝殿と本殿。
左側の祠。
磐座。
美しい別天地。これは修験者が居つきたくもなる。
自在神社からの景色。
山頂は出浦城跡で村上氏の狼煙台とされている。
自在山の東麓には、葛尾城落城のときに村上義清の奥方が自害したという「姫宮の跡」がある。姫宮の石祠は自在神社に移されたというが、どうにも見当たらなかった。
神楽殿の横に朽ちた石祠があったが、まさかね。
2019、10月初訪
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