山上の東屋には「弁天様公園」とあった。
弁天池。おそらく農地用水用の溜池。
山上の風景。
弁天堂。
弁天堂脇の土塁は古墳跡であろうか。
弁天堂前の平地には祠と石塔が建つ。
なぜかここに太鼓橋。
実は山上には堰が周っている。
右の堰はトンネルとなり弁天池に、左の堰は未確認ながら祢津支城の北の山上を横切る堰からつながっているように見える。
この地域は昔から水争いが絶えなかったという。江戸幕府の調停により、奈良原地籍に枡 場を作り、沢の水を滋野は6分、祢津は4分に分けたことから「六分水」(ろくぶすい)といい、祢津支城の裾野を流れる堰がそれだと思われる。この山上の堰がいつの時代のものか知らないが、そういった環境に立ち向かった先人達の努力をみれるものである。
さて、この尾根が気になったのは、祢津支城からくっきり見える二条の竪堀状の溝が確認できたからである。
しかし結論からいうと、二条の縦溝は山上の堰の決壊によるものであろうかと思われる。
山上から見た縦溝。
山上から見た南側斜面。
山上の様子。
弁天様公園の入口付近と弁天池。
その奥の集落は井子集落である。
原口集落には森と竹林を伴うまとまった一画があり、寺社跡か館跡のようにも見える。
字地名など調べてないが、気になる場所である。
祢津支城と弁天山。
2018、12月初訪
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