民家の庭に石碑が建つ。
この辺り一帯が居館跡と思われるが、かつては三段の郭があったいう。
古御館という地籍と蕨手刀の出土地ということから、祢津氏居館跡とされるが確証は無いようである。
一説には戦国期に武田信玄によって巫女頭に任じられた千代女の屋敷だったともいう。
千代女は戦死した望月盛時(一説に信頼とも)の後家で巫女頭として巫女を束ね、くノ一の元祖とも言われている(実在も疑われるが)。
それにしても忍者や巫女など、甲賀望月氏や真田氏、祢津氏ら、滋野姓氏族の持つ性格は興味深い。
祢津氏は「祢津(禰津)氏」参照。
「祢津の歩き巫女(ノノウ)」や「千代女」については「巫女さん眠る地@東御市」参照。
南の石垣。新しいものだが当時の様子を想像できるものかも知れない。
北側の細路地。
祢津集落にはこの様な細路地が多く、この辺りに江戸時代に歩き巫女たちの住居の集まったノノウ小路がある。
居館跡の西側道向かいの路地。
推定だがノノウ小路かと。
蕨手刀は兎も角、古御館の地名から何かしらの居館なりがあった場所には違いないのだろう。伝わるように宮ノ入に移る前に祢津氏が寄った居館であったかも知れない。それが鎌倉時代以前なら、室町期には巫女頭的な者の館となったとも考えられる。江戸期にこの辺りがノノウ小路となったのもそういった流れがあったからかも知れない。
宮ノ入祢津氏居館参照。
2018、5月
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