在地土豪であった北林氏を追放した神氏矢島氏の城という。
「…建武二年(1335)に神氏一族の矢島氏が諏訪から北林郷へ移り、北林城へ居城した。在地土豪北林氏を川中島方面へ追放して、以後当地方を支配して住んだ…」
「応永7年(1400)の『大塔物語』等により、応永年間(1394-1428)から永禄年間(1558-1570)にかけて、小県郡に矢島氏が存在したことはほぼ確かで、同氏の城と考えられている。」
また、「かつて、この「矢島城」と「矢島屋敷」は同一視されていたが、「惣名北林絵図」によって「北林城(矢島城)」の他に「矢島屋敷」・「門脇」・「堀の内」があることが分かったという。
その近くには下小路・南小路・まん所などの地名もあり、中世頃に開発領主の館があったことが伺える。」(「信濃の山城と館」より抜載)という。
これらが北林氏・矢島氏とどう関わっているかは、その時代での変動もあろうと思う。
また北の尾根上にあるという「眉間の城」、目近の「牛伏城」・「荒城」、が、これらにどう関わるかも気になるところである。
見事に残った堀。左手(南側)には土塁が残る。
堀の東側は竪堀となり虚空蔵沢へ落ちる。
土塁の石積。
土塁。
土塁上から。
土塁上の古そうな五輪塔。
二条の堀は西で南に折れ曲がり台地から斜面を下り落ちている。
現在は段畑となっている。
土塁西隅にある稲荷社。
(2)から見た(1)との段差の虎口。
最南端部。
最南端部斜面の曲輪。
南斜面の曲輪。祠がみえた。
この辺りが南からの大手入口かと思われるがよく判らなかった。
東側斜面の曲輪。
(2)の曲輪。一段高く(1)の曲輪がある。
「信濃の山城と館」の西隅に一部ある土塁。
延長線上の西側にも土塁があったものか。
西隅の土塁から見た西の竪堀。
矢島城東側は虚空蔵沢の深い谷である。
写真は谷の反対側からのもの。
道路を通す為に造られたものか。コンクリートで無いのがよい。
滝。虚空蔵沢は滝沢ともいうようだ。
矢島城から見た沢の対岸、「牛伏城」の登山口には「虚空蔵堂」がある。「曽我物語」の虎御前に関わり、建久年間(鎌倉時代前期)眉間林に「虎立山祐成寺」が建てられたと伝承され、中央北にある「呈蓮寺」の前身の寺とされる。
「虚空蔵堂」と「祐成寺」が北林氏と矢島氏のどちらに関わるかは不明だが、この上平からは8世紀前半以前と思われる布目瓦が発掘されているので、北林氏かもっとそれ以前に在った豪族との関わりが考えられる。
矢島城の別名「北林庄司城」の庄司とは荘園の役人で荘官のことである。氏寺をもった古い氏族の存在も考えられる。
矢島城 |
2018、5月
2020、3月一部写真入替および追記
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