2018年4月18日水曜日

奥座@東御市

古城(海野城・物見城)と小太郎屋敷に隣接した高台に位置する。
詳細不詳。小太郎屋敷ともども海野氏の関連施設と思われる。

古城(海野城・物見城)の堀を形成していたであろう三分川を少し上がった高台になる。

三分川は古城の天然の堀だあったろう。

現在は住宅地となり内部は確認できなかった。

古城を見下ろす立地であり重要な施設があったと思われる。


出典は失念したが、奥座とはは海野氏の家老をいうものらしい。
関係は分からないが以下に記しておく。

海野氏の家臣に春原若狭守がおり、小草野隆吉、奥座隆在ともいうという。
もとは信濃の豪族海野棟綱の家老で、天文十年(1541)棟綱が武田信虎の侵攻に抗して敗れて本拠を失うと後に真田幸隆に仕える。 永禄四年(1561)武田信玄の次男信親によって海野家が再興されると、その家老となり小草野隆吉と改姓したという。

元は春原氏(須野原氏)。丹治氏の末裔(武蔵七党の丹党)で、祖先は武蔵国から信濃国に移って海野氏に仕えたという。  当初は海野棟綱に仕えていたが、天文10年(1541年)の海野平の戦いで武田信虎・村上義清連合軍に敗れて四散した。その後、武田信玄に仕えた海野氏傍流の真田幸隆に従う。特に村上義清攻めでは、弟・春原惣左衛門と共に村上方に偽装投降して、家中霍乱に大きく貢献した。  永禄4年(1561年)、海野氏の名跡を継承した海野信親の家老職に抜擢された(Wikipedia)。


2017・秋
2018、7月追記

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