ネット上では唯一、もともと本尊の大日如来は「科野大宮社」にあって、明治維新の神仏分離で横町の「宗吽寺」にあずけられ、昭和七年に現在の場所に堂が建てられた。とあるのみである。
これから推察するに、「科野大宮社」の境内あるいは隣接して寺院が存在していたと言うことらしい。
崇神天皇の時代、上田に国府を置き国魂の神を創祀したのが「科野大宮社」で、信濃国総社にも比定されるほどの神社なので神宮寺があってもおかしくはない。
厨子が二つ見えるのだが。
平成十四年十二月に大日堂崩壊修復工事が行われたようである。
常田大日堂からの眺め。
足下に常田池。
祢津線を利用していて気になっていた人もいるのでは。
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