2018年11月22日木曜日

村上大國魂社@埴科郡坂城町網掛

祭神は村上大國魂社、建御名方命、八坂刀賣命、大國魂命という。
古くは泉口明神と言った。当社が上社で、下社は綱掛の宮沖にあったが、上五明に遷座し、現在は村上神社となっている。社記によると天徳2(958)年村上天皇の第4王子為平親王が村上郷に下向して御所を造営し、泉口御所と称し諏訪明神を祭り泉口明神と言った。その後村上氏代々の氏神として崇敬されたが、天文22(1553)年武田村上の兵火により焼失した。天正11(1583)年村上義清の子国清が上杉氏の臣として旧領に復した時社殿を再建。上杉氏会津移封に従って村上氏が奥州に移った後は村落で祭典を行い、村の氏神として祭り現在に至る。十六夜観月殿がある。周辺の景観はすばらしい。『いさよいもまた更級の郡かな』芭蕉碑有り。(「長野県神社庁」HP)

狐落城跡の登山口でもある。


大国神と彫ってある石碑。元治元年(1864)に建立されものとある。




左手は十六夜観月殿。
右手が村上大國魂社。


顯清社
 祭神 村上顕清
由緒
 村上為国父ノ霊ヲ祀ルト云フ

義光社
 祭神 村上義光  村上義隆
由緒
 当村 村上城ニ於テ出生ス 父子吉野ニ於テ壮烈ナル戦死ヲ遂グ因リテ其ノ霊ヲ祀ル


村上顕清は嘉保元年(1094)の白河院呪詛事件に連座して信濃国へ配流されたというが、越前国への配流など異説もある。
源為国は顕清の養子とされ、信濃村上氏の祖とされる。
村上義光 、村上義隆父子は「太平記」に護良親王方として逸話が残る。
義光 ・義隆父子は安信系に連なり、後の義清も安信系とおもわれる。

信濃村上氏は為国の子の世代に数流あり、また屋代氏・出浦氏・栗田氏・千田氏・小野沢氏など多くの支族を出しているというが、「尊卑分脈」等系図には混乱がみられ系譜は掴み難い。


 天満宮。

天満宮横の墓石と石祠、石塔。不明。

村上大國魂社拝殿。


梶紋からも諏訪社と知れる。

御柱祭もあるようだ。

 裏手にある子育て地蔵。


 村上大國魂社の北側にある十六夜観月殿。

「 十六夜観月殿
 昭和50年3月6日 町指定
 平安時代の寛治八年(1094)に都から信濃国更級郡村上郷へ流され、村上氏の祖となったという源盛清が、配所の月をここに眺めて心を慰めたと里人は伝える。
のち元中年間(1384~1392)に、村上満清がこの場所に観月殿を建てたが、天文二十二年(1553)に武田氏の攻略の際兵火にかかり焼失したという。 江戸時代の寛永年間(1624~1645)に郷人によって再建された。現在のものは寛政三年(1856)に再々建されたものである。
この地は古来更級八景のひとつに数えられ、その展望と十六夜観月の勝地として知られている。貞享五年元禄と改元(1688)に俳人芭蕉も更級紀行の途

 いさよいもまた更科の郡かな

の名句を残している。この句碑が庭前に建立されている。今も遠近の雅客がたえずここを訪れ俳筵をのべて楽しまれている。
 十六夜八景
 葛尾の晴嵐 十六夜の秋月 猪落の夜雨
 千曲の帰帆 福泉寺の晩鐘 鰕島の落雁
 太郎山の夕照 戸隠の暮雪
 昭和55年3月 坂城町教育委員会 」


句碑には「いさよいもまだ更科の郡かな」とあるらしい。
「桃青霊神」とあるが、桃青は芭蕉の俳号の一つかな。

十六夜観月殿からの風景。
正面には葛尾城。
千曲市方面。
左隅の岩井堂山は出浦城跡でもある。奥に荒砥城もみえる。
南条方面。
中央の峰が虚空蔵山城で右尾根は和合城。





2018、11月初訪

2018年11月20日火曜日

天白城@上田市真田町本原

左の平坦な尾根が天白城。
本原下郷沢付近からの写真だが、遠くの豊里方面からでも同じように見え、神科方面染谷台からも確認できる山城である。

中央の山尾根が天白城、左中央の林は真田氏館(お屋敷)
真田信綱が本原の御屋敷とともに築城したと伝承するが、幸隆との説もある。
隣接する真田本城(松尾城)の支城として築城されたとされているが、比高の少ない本城に対して上田方面への展望が優れていることが特筆される。
また、中原の延命地蔵堂には貞治二年(1363)の「中原石造宝篋印塔」があり古い町とおもわれるが、その原の町から御屋敷への道に屋敷割があり、拠点を原の郷に移したときに城下町の形成を考えていたことが伺える。
その方角に段郭を備えた天白城との位置関係なども考慮したい。
つまり、本原城下からは真田本城と天白城の威容を仰ぐかたちになっているのである。
しかし信綱が長篠に討死したためだろう、真田氏館は短命に終わったと推測されている。
そのあと真田家を継いだ昌幸は砥石城を拠点とし伊勢山に城下町を形成している。
真田氏館には信綱の妻於北が暮らしたというが、真田本城・天白城・真田氏館は信綱の夢の跡と言えるかもしれない。

赤井集落からみた天白城。

赤井集落の天白城登山口。


北赤井神社の拝殿と五輪塔郡。
本宮は登山道の中腹にある。

北赤井神社の拝殿には案内板があった。
実際には、西の段郭は殆んど竹藪に覆われて、この縄張り図のままに確認することは難しい。
また現在は遺構跡までの道筋は「信濃の山城と館」の縄張り図とも多少変わっているようである。


獣除けの柵を開けて入る。

一帯は畑地跡の石積。
足下の赤井集落。
程なく北赤井神社奥社(本宮)に行き着く。

「信濃の山城と館」には、この上の方に祠が二つと竪堀が描かれるが確認はしなかった。

北赤井神社の案内板縄張り図には無いが、「信濃の山城と館」にある一番西の小さな郭状の平地がこの上。

ここから初めて真田本城と十林寺集落が見える。

すぐ近くの二つ目の郭は結構広い。
案内板の縄張り図はさっきの郭とこの郭を一つに描いているのかもしれない。

ここからが面白いのだが、道の両側は密生した竹藪の為に段郭の確認は難しい。七段ほどの段郭があるらしいが縄張り図を片手に登りたい。

本来の登城路かはわからないが、なんども折れ曲がり、幾つかの石積も見られ桝形かとも思える虎口状のところも見受けられる。

この上が主郭。
「真田町誌」に虎口は無いとあるので、本来も梯子がかけられていたものか。

主郭西側側面の石積。

主郭。
遠くの山は真田氏が崇拝した四阿山。

主郭からみえる西の段郭。
二段ほどは綺麗に確認できた。

主郭東側の土塁。
横からみた土塁。

土塁上から見た主郭。
「上田小県誌」に、土塁は南側と西側に築かれ、冬の寒風を防ぐ目的ももつ土塁を北側に設けない構築は真田地区の他の城跡と異なった意味を感ずる。とあるが確かに北側が開けている。

主郭の案内板。

主郭から見た真田本城。
沢を挟んだ至近の距離であり、両城が連携した関係であったと思わないわけにはいかない。

真田本城と四阿山。
真田・四阿山・上州道の関係性が一目でわかる写真。


主郭土塁上からみた東側の大堀切。

大堀切に降りるときに見える土塁側面の石積。
土塁裏の石積。

山城の最大の見所の一つである大堀切。
天白城のそれは、岩を砕いて造ったという。

大堀切内部。

大堀切内部南側。

大堀切内部北側。
これはかなり下まで竪堀となり、尽きる辺りに水の手がある。この堀底道を下って水を汲み上げたと伝承があるといい、近年まで赤井集落から十林寺集落への生活道路として使われていたという。

さらに大堀切東側。堀と竪土塁という。
つまり二重堀ということになるが、こちらは埋もれている為か堀は浅く、間の土塁もそうなのかなという感じ。

二重堀の間の土塁。

二重堀越しに主郭を見る。

堀切の東側の山尾根方面。
十林寺側への道があるようだが今回は未調査。

赤井集落側を見下ろす。
上田方面を望む。
写真はわかりづらいが中央が砥石城。



さて、下山は近年まで生活道路として使われていたという堀底道を水の手まで下ってみた。
振り返る。
途中に作業用の道に遮られたが、かなりしっかりと堀跡は残っていた。

明らかな作畑跡地が現れるところで堀遺構は途切れる。
本来はもう少しつづいていたかも知れないが、違和感なく自然に消滅する感じでもある。

堀が途切れたすぐ東側は湧水が数か所ある。ここが水の手であろう。

湧水の少し上の方に鳥居が見えた。

山神社らしい。幾つか祠もあった。

さらに下るとこんな感じ。

真田本城が目の前に見えた。

振り返ると天白城。
「城満」や「勝負沢」はこの辺りの何処かの地名かと思われる。

こちら側にも獣除けの柵があり、妙に太い針金。熊久保まで金網沿いに歩かされバイオハザード感を味わえる。


熊久保方面から見た天白城。

真田本城の下を通り、旧菅平有料道路を赤井へ向かう。

旧菅平有料道路からみた真田本城。
実は真田本城には鎌倉期にみられる古い縄張りがあるといい、かなり古い城の可能性があるという。

北赤井神社の少し西側からみた天白城。
写真は十林寺方面への古い道と思われる。北赤井神社の西側に刀剣出土の「小屋場」とは北赤井神社からこの辺りまでのどこかであろうか。


豊里から見た真田方面。
中央矢沢城の奥に天白城。左の小山は伊勢崎城(虚空蔵城)で奥が横尾城長尾城。見切れた左には砥石城がある。
本原の本拠地に在って、上田方面の真田の入口付近は容易に監視できるということであり、天白城の最大の存在意義と個人的には思っている。


2018、11月初訪

村上大國魂社@埴科郡坂城町網掛

祭神は村上大國魂社、建御名方命、八坂刀賣命、大國魂命という。 古くは泉口明神と言った。当社が上社で、下社は綱掛の宮沖にあったが、上五明に遷座し、現在は村上神社となっている。社記によると天徳2(958)年村上天皇の第4王子為平親王が村上郷に下向して御所を造営し、泉口御所と...