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2018年5月13日日曜日

姫子沢の宝篋印塔@東御市

 姫子沢を堂々と見下ろす場所にある姫子沢の宝篋印塔。

 室町初期のものと考えられるそうで、「姫の墓」と伝承されるが、誰が何のためにつくったものかは不明。
一番上にのる細長い「相輪」を新しく補ったほかは、ほとんど完全な形を残しているという。

「姫の墓」と伝承される姫とは誰のことなのか。
根津城を隔てた祢津集落には江戸時代、信濃の歩き巫女「ノノウ」たちがいた。
また戦国期に武田信玄によって巫女頭に任じられた千代女は戦死した望月盛時(一説に信頼とも)の後家で巫女頭として巫女を束ね、くノ一の元祖とも言われている(実在も疑われるが)。その千代女の話やノノウたち巫女がこの地域に根付いた背景には、この地における姫(女性)の特殊性が示唆される。
室町初期に建立されたというこの宝篋印塔は、姫子沢という地名とともに興味深いものがある。



 姫子沢から見た矢立城。

宝篋印塔への入口付近。
ここでは姫子沢の延命地蔵尊が迎えてくれる。

 姫子沢の延命地蔵尊。
高さは2mを超える。
 台座の刻字に、江戸時代中期の享保5年(1720年)7月6日に石屋文七の手によってつくられたとあるという。当時姫子沢には「念仏講」があって、その声は谷をわたって城山あたりまでも聞こえたほど盛んだったと伝い、この地蔵尊はその人達がお金を出し合ってつくったものという。



 姫子沢から見た根津城(下の城)。

 姫子沢は祢津城と矢立城の挟間の集落で、根津城の西側に当たり、戦国期などは防衛の要地といえる。姫子沢に祢津氏関係の有力な者が居たのだろう。
「祢津(禰津)氏」参照。

2018、5月

2017年12月24日日曜日

根津上の城(禰津城・根津城)

根津上の城と根津下の城。

祢津集落、宮ノ入祢津氏居館付近から見た根津上の城。
ピラミッド型の祢津下の城に対し平坦な山頂が印象的な山城である。
滋野三家の祢津氏の城で、祢津下の城の北側の尾根沿いにあり、緊急時には宮嶽山陵神社砦とともに連携したものと思われる。
祢津下の城の案内板に「戌亥の馬場」とある。下の城と上の城を繋ぐ尾根沿いは急斜面に囲まれた丘陵地帯であるが、筆者はこれが「戌亥の馬場」と推察する。
根津下の城(禰津城・根津城・祢津)参照。
宮嶽山陵神社参照。
宮ノ入祢津氏居館参照。
祢津氏参照。

祢津城周辺図。

姫子沢集落の奥からの道路で、祢津下の城の北側を通り途中から林道に入ると近くまで行ける。雑木林をしばらく進むと平な山頂らしき影が見えてくる。

近くと段丘状であるのがわかる。

段丘上の腰郭。荒れているが意外と広く長い。

虎口状の箇所から主郭へ登れる。

主郭。

荒れ放題の主郭。かなり広そうである。

「信濃の山城と館」に石とあるものか。石は他にもあったが中心部には違いなさそう。

主郭の南側周辺。石のある中心部は一段高いのがわかる。

写真で分かりにくいが、主郭の南西斜面の郭。

主郭の東側はさらに荒れ放題。

城域の東側にある竪堀の確認のため、再度腰郭に降りてみる。

写真中央に分かりにくいが竪堀。

再度腰郭。

腰郭から北側斜面をみる。

腰郭の北側に張り出した出丸的な郭。その機能は見当もつかない。

帰りがけに振り返ると山頂の影がひっそりとそこにあった。

2017冬
2018・春写真追加
2018、8月祢津城周辺図追記

足穂神社@東御市本海野岩下

西海野には二つの神社がある。 「足穂神社」は江戸期の村社で、飯縄権現が祀られ元飯縄権現と称していた下吉田村の産土神である。 一方の「 住吉神社 」は寛永8年(1631)千曲川の洪水で流された下深井村の氏子らにより大阪住吉神社から分祀し建立したものであるという。 西海野...