2018年5月18日金曜日

深井氏居館(堀の内)@東御市和

「東部町誌」に深井堀之内とあるのがそうである。
東深井の集落より少し南に離れており、西へ行くと西深井集落で西深井居館(正村屋敷)がある。東は曽根で海野氏菩提寺の興善寺がある。
深井氏は海野氏の一族で深井郷を所領し、海野本郷と現青木村の代官でもあった海野氏の重鎮である。
深井氏参照。
海野氏参照。

道路左が深井氏居館跡。かつては堀で囲まれていたと推測される。

南側。ここにも堀が回っていたであろう。
出丸的に突き出たところが実に憎い。

北東隅の辺り。
北の道路。右が居館跡。
かつては北面にも堀があったというが、居館跡は道路より低いので敷地内に在ったものだろうか。


西側の堀跡。
見事に残っている。すばらしい。

南西隅辺り。
雰囲気はすごくあるが、民家なのでね。
現在でも深井氏の御子孫の方がお住いになっているそう。



ここでは蛇足だが「歴史は語る東深井區誌」(昭和49年)より東深井区の戸数を拾ってみた。
深井24、堀17、押金8、竹内3、中村2、松尾2、中村2、宮下2、温水1、白倉1、宮坂1、清水1、新井1、山田1、平尾1、関1、小林1、唐沢1

「和村誌」(1959)「上深井村田畑惣貫之御帳 承応三年 (1654)松尾家文書」より深井地域の小字を引用しておく。
「かご田 ・うしろ村・竹ノわき ・よこしい ・さぎ坂・宮ノわき ・屋つく路 ・東うら・屋しき・ 宮ノ下・ くね下 ・見みう ・若宮・かぢばた ・くぼ ・宮ノまい ・道六神 ・さわ ・ぜにいい ・清水 ・木下 ・中島・ほリノ内 ・なめし ・清水尻 ・東沢・ひがし畠 ・いまい ・次郎五・山道 ・こひとう ・穴水 ・道下・ くねぎわ ・ばんば ・だいもん ・そり ・白ひげ ・ふたい ・そり田・ひかげ ・石はら ・白ふち ・ほそはた ・まい ・から沢・びやつた ・はば下・せき下 ・つかはた ・法のはた ・くねそへ ・西畑・金井 ・かしはた ・ほりや敷 ・とうかいと い・つなめん ・くぼう道下・屋けほまち ・あいかわた」


また穂見神社で一考したと同じようなものを記しておく。
深井氏居館を南に行くと、Ⅽの場所で台地を下り大屋に至る。
中世の小街道の幾つかは深井郷を抜け真田方面に向かっていたと思うのだが、根拠が無いながらABⅭ地点には、地勢的に何かしらの施設が在ったのではと推測している。
未だⅭの場所は探索出来ていないので、ここではB地点を歩いた写真を二三上げておく。

この細道の左上が気になるB地点。
「和村誌」にある「白髭という地名が下栗林の下平と西深井の南、唐沢にある。唐沢には神社があったらしい。これが白髭神社で帰化人を祭ったものである…」が穂見神社である気はするのだが、一帯が字地唐沢と思われるので或はこの場所か。そのあたりは調査不足である。
南側から見ると饅頭型。山城の主郭と似た印象を受けるが古墳の可能性もある。
実際にはかなり広く、畑地となっていた。
この先の北側は緩やかな果樹園となる。堀跡らしきものは確認できなかった。
西斜面。南側斜面も同じような笹藪である。
南側斜面。
この辺りでは少々小高くなった場所であり、台地上の深井と下の大屋・岩下を繋ぐ小道が通る際である。
どうであろう。物的根拠がない以上やはり無理があるだろうか。

2018、5月初訪

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